良質な陶土に恵まれ、陶産業で発展してきた滋賀・信楽町。
器好きからも注目を集めるこの地に、陶芸家夫妻が営む「大谷製陶所」はあります。
現代のライフスタイルに合わせて土鍋をアップデートした万能調理器具「平鍋」をはじめ、
白磁や絵付けなど、暮らしを彩り生活に寄り添う陶芸作品を日々生み出しています。
日本六古窯のひとつ信楽で陶芸に向き合う大谷哲也・桃子夫妻は、東京や海外からも個展のオファーが途切れない人気作家。山間の集落にあるふたりの工房には、ほっと肩の力が抜けるような、穏やな時間が流れている。白磁と絵付け。作風が違ってもどこか共通項を感じる、ふたりの器が生まれる場所にあったものとは?
丁寧な暮らしが、良いものを生み出す
鳥がさえずり、季節の花が咲く広々とした敷地に、ゆったりと構えた工房と自宅。「大谷製陶所」を訪れた人はまず、そのロケーションの良さに魅了されるという。
「暮らしを整えることが仕事のひとつ」と話す哲也さん。庭木に水をやる、家族で食卓を囲むなど、職と住が重なり合う空間が、ふたりのものづくりのベースになっている。
信楽は陶産業で発展してきたまち
滋賀県の南部に位置する甲賀市信楽町。およそ400万年前は琵琶湖の底だったこの地域には全国でも有数の良質な陶土が堆積しており、時代の移り変わりとともに、芸術的な茶道具から日用品、建築に使うタイルまで、世の中のニーズにあわせ製造し発展してきた。なかでも大型陶器の制作を得意とする産地で、火鉢やタヌキの置物が有名。
近年は、土の素朴な風合いを生かした信楽焼の食器が、器好きから注目されている。
暮らしに憧れ、陶芸家へ
大谷夫妻がこの地に工房兼自宅を構えたのは2008年のこと。陶芸家だった桃子さんの両親が、信楽でものづくりをしながら穏やかに暮らす様子に憧れ、ふたりもこの地に工房を構えようと思った。
「生活によって培われる美意識は自然と作品にでてしまう」と、建物やインテリアにもこだわっている。
大谷家のリビングにクーラーはなく、大きな窓を開けっ放しにすれば夏のそよ風が部屋を渡っていく。物が少ないわけではないけれど、置かれているものに統一感があり、自分たちが心地良いと思えるものだけが存在する。
派手さはないけど地に足をつけた豊かな暮らし。それが、ふたりの作品の根底になっている。
「豊かな暮らし」が生みだす、普遍的な器
工房と自宅をつなぐ部分には「knot」(結び目)と名付けられたギャラリーがある。窓から差し込む柔らかい光が、ディスプレイされたふたりの作品の造形美を浮かび上がらせている。
それぞれの作風は最初の頃からほとんど変わらない。何年後かに買い足しても違和感なく馴染み、暮らしに長く寄り添ってくれる器だ。
シンプルで無国籍。どんなシーンにも合う白磁
哲也さんが作るのは磁器の白い器。研ぎ澄まされたフォルムはとてもシンプルで美しく使いやすい器として、単体でも十分機能しているが、スタッキングさせたときに、また違った表情で魅せてくれるから不思議だ。
色は“白”、成形方法は“ろくろ”という限定された世界の中で戦い見つけた、自分だけのフィールド。
器には使い手のための余白も残されていて、料理を盛ったり、花を飾ったり、自分だけのアレンジを楽しむことで器の世界観が完成する。
のびやかな絵付けで食卓を彩る器
桃子さんの作品は、信楽焼特有の土の質感を残した器に、のびやかで繊細な絵を描いたものが多い。
「アイデアは台所で生まれます」と桃子さん。料理をしたり、お客様をもてなしたり、暮らしを楽しむの中で生まれてきた。
絵付けのモチーフは、ハスの花やバナナの葉など主に植物。海外の大学に留学していた際にインドネシアに渡る機会がありその時目にした熱帯の魅力に触れたのがきっかけ。絵付け作品はともすれば存在感が強くなりがちだが、そう感じさせないのは、自然を題材にしているからかもしれない。 使い勝手がよく、使えばなんだか心が弾む。暮らしに彩りを与えてくれる器だ。
和洋中、どんな料理にも活躍する平鍋
哲也さんが最初に陶芸家として注目されたのは白磁だった。
白磁のシリーズを作りながら、大谷家では「平鍋」を日常の中で使っていたのだが、使い勝手もよく、作品として発表するとたちまち人気に。直火でもオーブンでも使え、グラタンやキッシュなどの洋食はもちろん、和食の煮物やお菓子作りまで、どんな料理にも万能な土鍋。 従来の土鍋のような持ち手はなく、シンプルなフォルムで食卓にそのままだしても様になる。使い込むほどに白色から褐色へと変化し、風合いを増していく。サイズ違いでスタッキングして収納できるのも魅力的だ。
大谷製陶所のホームページで「日々平鍋」と題し、桃子さんが発信するブログには、暮らしを楽しむヒントも盛り込まれている。
自分たちが良いと思うものを周りへ繋げていきたい
いまや展覧会初日に整理券が配られることも珍しくない人気作家の地位を確立したふたり。子育てもひと段落し、いまは新たな目標に向かって歩み始めている。
視点は海外へ。往復航空券をにぎりしめ、滞在費は現地で
いまからおよそ10年前には大胆な行動にでたこともあった。「海外で展覧会をすることを目標にしてお金を貯めていたんです。子どもたち3人を連れて、シアトルのギャラリーで二人展とワシントン大学でワークショップを開催することが決まりました。チケットを買いに行ったら、往復の飛行機代だけで予算オーバー。とにかく現地入りして、知り合いの家に泊めてもらいながら、展覧会の売上をすぐに現金でもらう事になりました。ゆとりが出た予算でレンタカーを借りてサンフランシスコまで旅行しました。」と懐かしそうに話す。
そんな無謀ともいえる挑戦をきっかけに、海外へ出向き評価されることも増え、アメリカ、台湾、オーストラリア、中国などで毎年展覧会を開くようになったという。
「海外はダイレクトに反応があって刺激になります。食器は世界中で使われているもの。文化の違いを知ることも楽しい」。現在の仕事も、3分の1は海外から舞い込んでくる。
陶芸家が憧れの職業になるために
陶芸家になる前は、地元の窯業技術試験場でデザインを教えていた哲也さん。試験場を卒業した人材が、信楽に定着しない現実を目の当たりにしてきた。
また、信楽で育った桃子さんも、地元の小学生が誰も将来なりたい職業に陶芸家をあげないことを憂いていた。
「作家としてやりたいことはやってきました。これからは若い人材が信楽に定着して、陶芸家としてやっていけるようにサポートしたい。毎年ひとりでも信楽に陶芸家が増えれば、この先の30年で30人の面白い陶芸家が増える。それはきっと町にも良い循環を与えると思います」。
現在工房ではふたりの弟子が一緒に働いている。弟子は基本的に5年で独立できるよう計画的にプラン立ててサポートしている。年内には工房も増築し、弟子の受け入れ態勢を整える予定だ。
陶芸の里で営まれてきた穏やかで豊かな暮らし。そこには信楽の未来へと向かう熱い想いもあった。ふたりの生活に憧れ、信楽で陶芸家を目指す人が増え、町全体が活気づくのも遠い日ではないだろう。
大谷夫妻が見つめる先にあるもの
哲也さんの「平鍋」は大谷製陶所の看板商品として不動の人気を誇っている。
大谷さん夫妻は「平鍋」を今よりもさらに人気商品に育てる事で、いつしか弟子が巣立ち、作家としての暮らしが軌道にのるまでの助走期間を支えてやれたらと考えている。弟子たちが「平鍋」を作りながら暮らしのベースを整えられたら、今売れているものの模倣や類似品を作らずに、自分らしい作品作りが出来るのではないかと、弟子たちの健全な作家としての独立の一助になりたいと切に願っているからだ。そしていつしか日本の食卓だけの特別なものではなく、世界中で愛用される「平鍋」になってくれることを楽しみにしていると話す。
いつか自分たちがこの世にいなくなっても、自分たちが育てた器がいつまでも人々に愛される不変のものとして受け継がれていく、そんな陶芸家冥利につきるような世界を、いつの日か二人で微笑みながら迎えられるのが夢なのだろう。
二人が醸し出す世界観がなぜかとても温かく、二人の作り出すそれぞれの器に引き込まれていく。そんな大谷夫妻の器に信楽の未来が見えた。
はるか昔から人々の食文化を支えてきた土鍋が使われなくなるのは、とてももったいないこと。少し目線を変えれば、土鍋はいろんな調理に使える優れものです。それを今の暮らしに合わせてアップデートしたのが「平鍋」。「にほんもの」を通じて、無限の可能性を秘めた「平鍋」をもっと多くの人に知ってもらえたら嬉しいです。