創業約180年。1830年から1843年に京都で茶畑を開き、
神戸開港に合わせて日本茶の輸出も開始。
日本で初めてコーヒーを店頭で飲ませたことでも知られ、
日本の喫茶文化の源流とも言えるお店です。
異国情緒漂う街、神戸を代表する神戸元町通り商店街。あたりにはお茶の甘く芳ばしい香りが漂う。ふと見ると、そこにあるのは宇治茶の老舗「放香堂」。約190年もの歴史を持つこの店の六代目であり、日本に15人しかいない「茶師十段」の称号を持つ酢田恭行さんにその歴史と古くから愛されるお茶の秘密を伺った。
190年の歴史を持つ老舗「放香堂」
その歴史は古く、創業はいまから約190年前。江戸時代の天保年間(1830年〜1843年)に初代東 源兵衛が宇治茶の主産地である山城の国、東和束村(現在の和束町)で自家茶園を開き、全国に送り出したことから始まる。そのお茶の香りの良さが評価され、1858年に松平家の御用商人となり「いつまでもその香りを放ちつづけるように」という意味を込め、現在の「放香堂」の屋号を頂戴したという。
喫茶文化源流の地
この放香堂が面白いのは銘茶を扱うだけではなく、日本で初めてコーヒーの輸入を手掛けたというところにもある。江戸幕府崩壊後、開港に合わせて現在の神戸に拠点を設け日本茶の輸出を開始した際、同時にコーヒーの輸入もおこなったという。そのことは教科書にも載っているそうだ。 早くから日本茶を世界に輸出することを手掛けていたことと合わせて、まさに日本の喫茶文化の源流と言えるお店なのだ。その放香堂の歴史を現代に受け継いでいるのが茶師の酢田恭行さんだ。
六代目・東 源兵衛を襲名した茶師・酢田恭行さん
創業者である「東 源兵衛」の名を代々襲名し、放香堂の歴史を受け継ぐ、六代目 東 源兵衛の酢田恭行さんは、放香堂の茶師として伝統の製法や技を用いて美味しいお茶を日々追求し続けている。 この日は見学のほかに中田も合組(ごうぐみ)にもチャレンジ。合組(ごうぐみ)は、品種や蒸し具合の異なるお茶をブレンドして良質で美しいお茶に仕上げる作業。わたしたちが口にする茶の味、香りを左右する最後の工程であり、茶師の腕が一番問われる工程だ。中田が掲げたのは、「食事にあう最高級の玄米茶」。それぞれの茶葉の特長を十段に聞きながら、4種類、5種類と茶葉をブレンドしていく。この日できあがったのは、鮮やかなグリーンの玄米茶。コクが強すぎないので飲みやすく、かといって香りも失われてはいなかった
茶師とは、もともとお茶を生産する人のことだったという。しかし、お茶は育った葉を摘むだけでは飲むことができない。今では、摘んだ葉を「合組(ごうぐみ)」、「火入れ(ひいれ)」、風力によって茶の軽い部分を選別する「唐箕(とうみ)」等のお茶のうま味を引き出す伝統的な工程を極めた人のことをいい、現代でいうワインの「ソムリエ」やお酒の「利き酒師」と同じように鑑定する能力をもつ者のことを指している。
70年で15人。茶師十段とは?
そんな酢田さんの凄いところは、そのお茶が持つ特徴を見極める力にある。年に一度だけ開催される品種、茶期、産地、香りの4つの審査項目で茶の鑑定力を競う「全国茶審査技術競技大会」。この大会において最も優秀な成績を収め、最高位の十段を取得した茶師に与えられる称号が「茶師十段」。酢田さんはこの称号を持っているのだ。そして、驚くべきことに大会が始まってから約70年のあいだ、この称号を得たのは15人しかいないという。
そのため、国家資格ではないが、業界の中においては非常に権威のある称号とされているのだ。
中田も合組に挑戦
この日は見学のほかに中田も合組(ごうぐみ)にもチャレンジ。合組(ごうぐみ)は、品種や蒸し具合の異なるお茶をブレンドして良質で美しいお茶に仕上げる作業。わたしたちが口にする茶の味、香りを左右する最後の工程であり、茶師の腕が一番問われる工程だ。中田が掲げたのは、「食事にあう最高級の玄米茶」。それぞれの茶葉の特長を十段に聞きながら、4種類、5種類と茶葉をブレンドしていく。この日できあがったのは、鮮やかなグリーンの玄米茶。コクが強すぎないので飲みやすく、かといって香りも失われてはいなかった
通常、ほうじ茶や玄米茶は二番茶、三番茶など、等級の劣る茶葉がつかわれることが多い。それを中田はあえて、高級な茶葉や抹茶をぜいたくにブレンドすることで、飲み味がすっきりしつつ、香りも楽しむことができる茶を目指したのだ。これに、瞬時にその目標に応え、膨大なお茶の中から特徴に合うものを選びサポートをしてくれた酢田さんの技術には驚きが隠せない。
日本茶と向き合うお茶づくり
現在も愛され続ける放香堂だが、それは酢田さんの存在によるものだけではない。自社茶園を宇治茶の主産地である京都府和束町に保有していることも大きな要因だ。高い鑑定技術で茶葉の特長を見極め、伝統の技と製法でブレンドする茶師・酢田さんの存在と、土づくりや苗木を育てるところからおいしい日本茶づくりに取り組める自社茶畑の存在。日本茶を鑑定、配合するだけではなく、一から日本茶に向き合い「創る」といった本来の茶師としての働きを可能にしている。これこそが放香堂の強みであり、現在までその歴史と伝統が守られ、愛され続ける要因なのだ。
移り行く時代と変わらぬ思い
近年、時代の変遷により「食」に対する価値観は多様化し、日本食文化にもさまざまな形態が出現してきている。しかし、放香堂には、190年のあいだ「以茶伝心」という変わらぬ理念がある。これは「丹精込めて育て上げた「茶」を相手様に喫していただく事により真心を伝える」という思いを表した言葉として、創業以来放香堂が大切にしてきた姿勢でもある。
「相手に対する真心」の発見そのものが難しい時代。そんな中でも、変わらぬ思いで最高のお茶を作り、日本の歴史と伝統を守り続ける放香堂はこれからも永く日本人に愛されるお茶専門店であり続けるにちがいない。
“おいしいお茶とは何か”を追求しています。全国の茶畑を巡り歩き、土づくりや肥料選び、栽培から収穫のタイミングにまで関わり、理想のお茶を実現するため研究を重ねています。