まんま農場のお米
地球は温暖化の一途を辿っており、日本も例外ではない。20世紀の100年間で、日本の平均気温は約1℃上昇。東京に限って言えば、ヒートアイランド現象によって同じ期間に平均気温が約3℃も上昇しており、21世紀以降もその傾向は変わっていない。その結果、米作りに適した地域は、山形県の庄内平野や北海道の石狩平野など米どころとして知られる低地から岐阜県飛騨地方、長野県北部、群馬県、新潟県南魚沼など内陸の高冷地にシフトしたと言われている。
「いまだに高山で米って作れるの?なんて言われることもあるんです。でも、米好きな人の間では広まってきた感触はあります」と話す小林達樹さん。アルプスにほど近い岐阜県高山市の小さな集落で、全国の米コンクールで毎年のように上位に入賞し続ける「まんま農場」の経営者だ。もともとは牛を育てる肥育農家だったが、よりエンドユーザーとコミュニケーションがとれそうだという理由で仲間と米農家に転身。小林さんたちが作る特別栽培米「いのちの壱」は、適度な歯応えと粘り、驚くほど豊かな甘味があり、冷めてからもその美味しさを発揮する。一口頬張れば「米の概念が覆った」と話す人もいる。また、まんま農場のもう一つの注目株「ゆきまんま」は精米した状態の見た目がもち米のような白濁色で、通常のうるち米に比べて粘りが強く冷めても食味が低下しないことが魅力で人気を集めている。玄米で食べた時でも甘味が強く、モチモチとした食感があり、こちらもコンクールで受賞するなど知る人ぞ知る注目の品種だ。
飛騨高山で米作りが成功したワケ
だが、なぜ米どころとしての知名度が低い飛騨高山で、米農家としての経験が少ない小林さんが成功したのだろうか。一つは、小林さんらの農家グループが、先人が開墾して稲作のできる土壌に育てた集落を守ろうと、有機肥料のみを使い、農薬の使用を最低限に抑えた米作りを始めたこと。昆虫たちと自然環境を守り、安心安全な作物を作りたいという志を持つ仲間が自然に集ったこと。また、夏でも夜は涼しく、米の呼吸が整い、デンプンを過剰に消費しないため、じっくりと旨味が凝縮しやすい環境だったこと。清らかな土壌が保たれ、程よい日照時間と、北アルプスから流れ込むミネラル豊富な雪溶け水に恵まれたことなど、さまざまな条件が掛け算の関係となって、美味しい米が育まれたのだ。また、そうした米づくりのノウハウを共有し、次代に継いでいくため、小林さんは2013年に「飛騨高山おいしいお米プロジェクト」を発足。有志の仲間とともに高付加価値で安心安全な米を作り続ける、持続可能な農業の実現を目指し、後進の育成にも力を入れる。
まんま農場という名前には、“自然のまんま、お米の命そのまんま”という願いが込められているという。日本人が大切にして来た命を頂く大切さを米を食すということを通じてこれからも伝え続けていきたいと小林さんは話す。トレンドの移り変わりが早く、スマートフォンには大量の情報が流れ込み、一つのことに集中しにくい現代社会において、自分がやるべきことをブレずに続けることはとりわけ困難だ。愚直にこつこつと働くことを良しとする飛騨人気質を持ち、米作りにひたすら向き合う小林さん。日本の米作りを支えてくれる多くの匠と同じように自然体で自然を愛せる人の背中はかくも大きい。