花火技術のコンクール「大曲の花火」
日本三大花火大会のひとつとしても知られる「大曲の花火」。一晩で70万人以上もの観衆を集める全国打ち上げ花火競技大会だ。そのお膝元である秋田県大仙市で、1899年に創業したのが「北日本花火興業」である。
大曲の花火は、1910年に諏訪神社(坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際、健御名方大神を祀った大曲地区の神社)の祭りの余興として、開催されたのが始まり。ある年から花火師の腕試しをさせてみようと、その趣がかわり、花火競技大会として花火師たちが腕を競あう、いわば花火技術のコンクールとなった。当初は東北の花火師たちの競技会だったが、今では全国から腕利きの花火師たちが集まる大会である。現在花火を作る会社は全国に300社ほどあり、その1/3の約100社が打ち上げ花火のメーカーである。この100社のうち28社が毎年大曲の花火競技大会にエントリーしている。
打ち上げ花火といえば、夜空に丸く、大きな花を咲かせる姿を思い描く方も多いはず。それらは「割物(わりもの)花火」と呼ばれていて、菊や牡丹の花のような紋を描きながら散っていく、最も伝統的で定番の花火である。「菊花火」や「牡丹」などと呼ばれ、多くの人々に親しまれてきた。1964年に、ここ大曲でこういった定番の花火の概念を取り払うような「創造花火」と呼ばれる花火のコンクールが始まった。これまで夜空でどれほど大きな花が開くかといった、ダイナミックさを求めてきた人々も、ハート形やスマイルマーク、アニメのキャラクターなどを描く花火に魅了され、新たな花火の流行が始まった。
創造花火の名人花火師
大曲の花火大会では毎年、10名ほどの審査員によって審査が行われている。伝統の割物花火と自由にデザインする創造花火を合わせ、2分30秒と決められた持ち時間の中で、各花火師が自分たちの世界観や、人々に伝えたい思いを込めて表現する。その年の最優秀の花火師(花火会社)に内閣総理大臣賞が贈られる。大会での各賞の受賞は花火師にとって大変な名誉である。
奇しくも同じ1964年に生まれたのが、北日本花火興業の4代目であり、全国にその名を知られる花火師、今野(こんの)義和さんだ。各地の花火大会で多くの受賞歴がある今野さんは、業界では創造花火の名人で知られ、“型物(かたもの)の天才”といった異名を持つ。型物とは、キャラクターものの絵などを、花火で描いた花火のこと。今野さんはこれまで、数多くのキャラクター花火を創造し、エンターテナー性の高い創造花火を広めてきた。このほか「麦わら帽子」、「土星」、「ひまわり」など、夜空に絵を描いたような花火も創造花火には含まれる。いかに観衆にその絵柄を上手に見せるかが花火師の腕の見せどころだ。「伝統の菊花火を作れるようになるまで、最低5年~10年はかかります。そうした基礎技術を持ちながら、さらに高い技と想像力が必要なのが創造花火。花火への強い情熱がないと、自分の思ったような新しい花火は作れません」と今野さん。
またここ10年での花火の打上げ技術の向上もあり、より細かな花火の演出が可能になった。音楽やレーザー光線を融合させるなど、花火の演出が多彩になり、打上げ装置のコンピュータ化により、これまであった花火と音楽のタイミングのずれが解消された事によるものだ。
しかしどんなに技術が向上しても、打ち上げられる花火玉一つ一つは職人による手仕事。花火師ごとにもつ秘伝の配合や、職人の手の感覚だけが造り出す、奇跡の積み重ねがあってこそ生まれるもの。毎度同じ花火を、寸分たがわず作れるわけではなく、満足のいく花火を作り上げたと思える瞬間はそう多くはないのだそうだ。それでも自分たちが創る花火で多くの人が笑顔になり、日本の伝統の美学を受け継ぐ事に使命を感じ、情熱を注ぎ続けている。たった15秒ほどで散っては消えていく日本の美の伝統を守るため、花火師たちは今日もひとつひとつていねいに花火を作り続けている。