木製の飛行機を作っていた「天童木工」
山形県天童市は将棋駒の生産地としても有名であるとおり、木工業が盛んな土地だ。その天童市に職人の組合という形で1940年に設立したのが、今回お伺いした天童木工。大工や建具、指物といった業者が集まり、組合を結成し仕事を始めたのだが、結成後すぐに始まったのが第二次世界大戦だ。そのときには、弾薬箱などの軍需品なども製造したというが、そんななか独特だったのは“木の飛行機”を作っていたという事実だ。
木の飛行機といっても、空を飛ぶためのものではない。ひとつの「おとり」としての飛行機だったという。日本にはまだまだ力があるぞという見せかけの飛行機だったそうだ。
「でも、相手も木の飛行機だってわかっていたのかもしれませんね」とお話を聞いた企画部 福島幸雄さんは言う。その言葉どおり、木の飛行機には爆弾を落とされた形跡がないのだという。
「天童木工」の名作“バタフライスツール”
天童木工製作所として会社組織になったのは戦後のこと。手持ちの材料で、戸棚や流し台などの製造をしていた。進駐軍用の家具を作っていたこともあったが、すぐに一般向けの家具を主力に製造するようになる。一気に注目を浴びたのが成形合板の家具を作るようになってからだ。成形合板とは、材木を薄くした単板と呼ばれる材料を縦目、横目の順に重ねあわせ、型にセットした後、圧力と熱を加えてその型に沿った形を作る木工技術のひとつ。どこよりもはやくこの技術を導入し、天童木工は注目を浴びた。
そのなかで生まれたのが、柳宗理氏がデザインをしたバタフライスツールという名作だ。その名のとおり、蝶が羽を広げたようなフォルムを持った椅子。座面だけでなく脚の部分にもこだわり、全体で蝶の優雅さが表現されている。1956年に製作され評判を呼び、1959年には通商産業大臣賞を受賞している。
現在でも職人集団
そのほかにも数々のデザイン家具を製作し、人気を博している天童木工。最新の技術も取り入れ、例えばコンピューターでカット部分を制御するNCルーターも1980年の時点から導入している。
中田が伺ったとき、ショールームにはOEMで製作しているという車のハンドルが飾られていた。そのように自社ブランドだけでなく、他社からも声がかかることが多い。日本国内だけでなく、海外からもいっしょにモノ作りをしないかと声をかけられることも多いという。そのなかで生まれた作品もいくつもあるが、「自分たちが何者であるかを見失ってしまわないよう、あまり外からの誘いには乗らないんです」と福島さんは言う。
「いまだに職人なんですね。会社としての経営もあるし、規模も大きくなった。それでもひとりひとりの工房が集まっているところということは変わらないと思っています」。
100人ほどの家具職人がそれぞれ熱意を持ってものづくりに向かっている姿が印象的だった。