山形と紅花の関係
山形市では毎年7月に紅花まつりが行われ、1992年に行われた山形国体の名前がべにばな国体だったように、山形と紅花は深い関係にある。
もともと紅花の原産地はエジプト。そこからシルクロードを経て4世紀頃に日本に伝わったとされている。その後、時間をかけて日本全国に広まっていったが、安土桃山時代頃になると、藍茜、紫根とともに重要な染料植物として重宝されるようになった。
山形県で広く栽培されるようになったのはその頃だといわれている。江戸時代に入ると最上川流域で栽培が急速に拡大していき、一大産地となった。ある記録では享保年間の全国出荷量のうち、4割以上を占めていたという記述もあるほどだ。
口紅にも使われる「紅餅」
「寒暖の差が大きい。梅雨から初夏になると蒸し暑い。そういう場所でなければいい花が咲かない」と教えてくれたのは、染色家の鈴木孝男さん。染色業を営む家に生まれ、若くして京都などで染色の修行をした方だ。山形に戻り染色全般を生業としたが、21年前のべにばな国体が開催される際に、河北町から紅花染めの復興を依頼され研究を始めた。
紅花はとにかく原料が少ない。さらにより鮮やかな紅色を出すためには、単純に乾燥させた花を染料に使うのではなく、”紅餅”というものを作らなくてはいけない。これがまた大変な作業なのだ。
収穫した紅花に水を加えて圧力を加えて、黄汁といわれる黄色い色素を溶かし出して水で流す。この作業を数日も繰り返す。そうして、黄色を抜かないときれない紅色は出せなくなってしまうのだ。よく黄汁を抜いたものを日陰にのかけて数日発酵させたあと、その酸化後の粘り気を用いて臼でついて団子状にする。それを平たくして天日干ししたものが紅餅といわれるものだ。
質の良いものは現在でも口紅などの化粧品に使われているほどに、鮮やかできれいな紅色が出るのだが、とにかく手間がかかる。しかも2反の反物を染めるためには、20キロほどの紅餅が必要となり、量産というわけにはいかないのだ。
紅花から感じる、終わりのないモノ作り
それでもやはり紅餅から染めたものは、鮮やかさが違う。しかもほのかな香りも漂いそのよさを実感できる。「いい材料を使って、手間を惜しまずに作ると、いいものが出来上がってくる」と鈴木さんは言う。
もともと独学で始めた紅花染めなので、試行錯誤の途中でさまざまなことに気がついたそうだ。なかでも一番大きかったことは“自然のもの”と合わせるときれいな色が出るということ。
ひとつは水にこだわる。鈴木さんは鳥海山の伏流水を使っている。純度が違うので、安定した色が出てくるのだという。もうひとつの発見は、酸。普通、酢酸やクエン酸など、科学的なもので染めることが多いが、それだと変色したり、色むらが出てしまうことがあるのだという。
そこでさまざまななことを考えていたのだが、たまたま作業の合間に甘夏を食べていたらきれいなピンク色が出たのだそうだ。それでピンと来て梅と甘夏、りんごを合わせた液体を作って使うようになったのだという。
「モノづくりはここで終わりっていうことはないなとつくづく思います」と70歳を超える熟練の職人である鈴木さんは笑っていた。