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原爆ドームが伝えたいこと
1945年8月6日、午前8時15分――。広島に原爆が落とされ、壊滅的な被害を受けた。
閃光をまともに浴びて即死した人々。
建物の下敷きになったまま火に巻かれた人々。
重傷を負って避難したものの、息絶えた人々。
その場はなんとか凌いだものの、後に白血病で亡くなった人々。
多くの人々が犠牲になった。
「こんな悲劇が二度と起こらないように」という願いが込められて設立されたのが、広島平和記念公園と資料館だ。1996年には原爆ドームがユネスコの世界遺産に登録され、人類史上初の原爆の悲劇から、世界に向けて核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けている。
広島観光で学ぶ歴史
原爆の被害を記憶に刻むこと
原爆ドームは、もともとは広島県産業奨励館という建物だった。爆心地から約160メートルしか離れておらず、爆風と熱線を浴びて大破、全焼したが、中心部は奇跡的に倒壊をまぬかれた。当時、この建物内にいた職員は全員即死だったという。原爆ドームは、そのときのまま保存され、原爆の被害のすさまじさを生々しく伝えている。
資料館には、被爆した方々の遺品や市民が描いた原爆の絵、原爆の被害のようすなどが展示されている。原爆の被害にあった方たちの絵には、体験者だけが描くことのできる真実味と迫力がある。
広島になかなか行くことが出来ない人は、広島平和記念資料館のホームページ上のバーチャル・ミュージアムで見れる展示物や企画展を通して、人類の体験した大きな悲劇「原爆」について、じっくりと思いを巡らして欲しい。