華美な着物が禁止され、“江戸小紋”が登場した!
江戸時代、戦がなくなり泰平の世に入ると、大名たちはこぞって裃(かみしも)に贅を凝らすようになった。ところが、それが華美に過ぎるということで、幕府が禁止。それでもオシャレをあきらめなかった大名たちは、遠くからみると無地に近いけれども、近くでみると細かな染めが施されているという裃を着て、優美さを競い合うことにした。その染め模様が、今日の江戸小紋の原型だ。
「すごい……!」藍田正雄さんの工房で江戸小紋の型紙を見せていただいた中田は思わず唸った。どうやったらこれが彫れるのかというほどの繊細な図柄。江戸小紋は遠くから見ると無地、近くで見ると模様がきちんとあるという図柄だから当然といえば当然なのだが、その精緻さには舌を巻くしかない。
一生勉強を続ける、ヘラを使った技術。
「これはきっと人間が彫れるうちで、最高に細い線ですよ」と言いながら藍田さんが見せてくれたのは、人間国宝でもあった故・児玉博さんが彫刻した型紙。それにグッと顔を寄せた中田は、またもや「すごい……」のひと言。
藍田さんの仕事は、その型紙を使って白い生地を染めることだ。生地の上に型紙を乗せ、その上からのりを置いていく。のりが乾いたら染めの工程に入るが、のりの部分だけは色が染まらないというわけだ。型紙は画用紙一枚程度の大きさしかないので、それを寸分違わず送って模様をつなげていく技量が求められ、のりがムラにならないように配慮もしなくてはならない。
「型付け三年、糊八年、ヘラは九年で成りかねる。」
型紙を置くのに三年はかかり、最適な糊を作るのに八年かかり、ヘラで糊を伸ばす作業は一生勉強を続けなければいけないのだと、藍田さんが話す。
「汗がひとつぽとりと垂れただけでダメになってしまいますから、夏場は本当に大変です。休んでばかりですよ」。全身に神経を使う仕事である。
「職人さんの繊細な技によって仕上がった着物は、派手な装飾にはない涼しげな美しさを保っている。日本人の持つ機微、美しさを求める探求心、そして豊かさをさりげなく取り入れる「粋」を感じる着物なのである。