石川の伝統文化を代表する加賀友禅の匠・柿本市郎

石川の伝統文化を代表する加賀友禅の匠・柿本市郎

戦国武将・前田利家を初代藩主とする加賀藩前田家は、百万石の財力を注ぎ込み文化の発展に力を入れていた。城下に住む武士や町衆にも茶の湯や能の奨励をしたほか、三代藩主・利常が城内に御細工所を設置、京都や江戸から指導者を招き金工・漆工などの藩主用の工芸職人を養成するなど、京都の公家的文化や江戸の武家文化とは趣を異にする、独特な武家文化を確立させた。

加賀友禅は、江戸時代中期、京友禅の創始者といわれる絵師の宮崎友禅斎が、その技術を伝えたことから始まったといわれる。加賀友禅作家・柿本市郎さんの仕事場は、加賀百万石の風情を残す金沢城や兼六園にほど近い住宅街にあった。

「加賀友禅の師は自然です。京友禅は図案柄が多いのに対し、加賀友禅は花鳥風月を描くのが特長。日々、散歩がてら兼六園あたりに出かけてスケッチをしています。地面に生えている草花を描かなければ本物にはならない。花屋の花では駄目なんです。若いころは、菊とか牡丹とか立派な花にひかれましたが、最近は名も知れぬ雑草に目がいきますね。雑草の秘められた強さ、美しさを友禅に描けないかと考えています」(柿本さん)

柿本さんの仕事場にかけられていた訪問着は、まさに花鳥風月の美しさを感じさせる1枚。明るく輝く半月に、色とりどりの植物。着物の柄というより、写実性の高い絵画を見ているようだ。
「見た目の美しさだけでなく、そこにある生命を描く。加賀友禅の技術のひとつに『虫喰い』というものがありますが、これは植物の葉に虫が食べたようなあとをあえて表現すること。毎日のように目の前にある自然を描いていると、そこにある変化にも気づきます。四季のある国に生まれてよかったなと思います」(柿本さん)

大正から昭和にかけて活躍した友禅の人間国宝・木村雨山に学び、昭和42年に加賀友禅作家として独立した柿本さん。その繊細かつ大胆な作風が高く評価され、数々の賞を受賞。80歳を超えた現在でも第一線で活躍する。
「京友禅はデザインを決める人、絵柄を描く人、色を入れる人がそれぞれ別々ですが、加賀友禅ではすべてひとりで行います。ひとりでデザインを考え、絵柄を描き、そして染める。色の配合も自分で決めます。だから二度と同じものはできませんし、作家の個性が強く反映されることになります」(柿本さん)

絵柄が繊細になれば、染めの作業も繊細になる。1枚の花びらのなかで色をぼかし、より立体的な美しさを表現するのも加賀友禅の特長だ。
「私の師匠でもある木村雨山先生の作品を見ると、色がはみ出したりもしていて、でもそれが植物の生命力を感じさせてくれる。私もその領域を目指しているのですが、まだまだ修行中です」(柿本さん)
60年を超えて、まだ修行。加賀友禅に限らないことだが、やはり工芸の世界は果てしなく奥深い。

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柿本市郎
石川県・金沢市