近代日本の礎。明治時代の、一大産業を知る。
1872年に創業を開始した、日本初の器械製糸工場。「殖産興業」を掲げた明治政府が、絹・生糸による国力増大を期待して造営した官営模範工場のひとつだ。
日本ではそれまで生糸というと、人の手で紡がれるのが中心だった。そのため生産量は少なく、安定した品質にも課題があった。
そこで明治政府は、フランス人技師ポール・ブリューナに指揮をとらせ、最新式の繰糸機や蒸気機関などを導入、日本初の器械製糸工場が誕生した。
産業遺産として、世界遺産暫定リストに加えられた
現在も富岡製糸場には、明治当初の雰囲気を残すレンガ造りの建物が並んでいる。ほぼ当時のままの姿で残っている西繭倉庫は、木骨レンガ造という珍しい建物だ。ほかに繰糸所など1875年以前に建てられた建築物は、すべて国の重要文化財に指定されている。
富岡製糸場では、ガイドの方の説明を伺いながら、繰糸所のなかを案内していただいた。こちらもほぼ当時のままの建物で、内部は白塗りのモダンなつくり。体育館のように広い空間にぎっしりと製糸機械が並んでいる。
富岡製糸場は昭和62年まで115年間操業を続けたため、これらの機械は昭和になって導入されたものだ。かつては、糸繰り機や糸巻き機の音が賑やかに音を立て、何百人もの女工がここで働いていたのだ。 現在、県と市を中心に富岡製糸場やそれに関連する絹業文化遺産を、世界遺産に登録する取り組みが進められている。
2007年には「富岡製糸場と絹産業遺産群」(The Tomioka Silk Mill and Related Industrial Heritage)として、日本の世界遺産暫定リストに加えられた。登録が実現すれば、日本では石見銀山に次ぐ2番目の産業遺産となる。その遺産群は、急激に近代化を遂げた日本を支えた、巨大産業の姿を今に伝えているのだ。 現在、県と市を中心に富岡製糸場やそれに関連する絹業文化遺産を、世界遺産に登録する取り組みが進められている。