生活のなかにある漆器「鳴子漆器」後藤常夫さん/宮城県大崎市

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400年の歴史を持つ鳴子漆器

宮城県の旧鳴子町 (現在は大崎市) の名産、鳴子漆器。その起源は江戸初期の寛永年間 (1624年~1643年) にあるといわれている。つまり400年近い歴史を持つということだ。
その鳴子漆器を盛り上げるため、岩出山潘の三代城主伊達弾正敏親が、修行のために塗師と蒔絵師を京都に派遣した。それ以後鳴子漆器は隆盛を見せ、現在の基礎になったという。
鳴子漆器の大きな特徴のひとつが塗り。木目の美しさを生かした 「木地呂塗」、顔料を加えていない漆を木地に塗りふき取る作業を繰り返して、木目を際立たせる 「ふき漆塗」、朱漆の上に透漆をかけた 「紅溜塗 (べにためぬり)」 などが特徴だ。また、鳴子独自の塗りの技法として、墨を流したような模様を描き出す 「龍文塗」 がある。そのどれも日用品として生活の場にあっても違和感がまったくない、素朴な美しさを醸し出している。

秋田の修行から持ち帰ったもの

その鳴子漆器を代々支えてきた職人の家に生まれて、自身も漆器作りに長年携わっているのが後藤常夫さんだ。10代の中ごろに秋田の漆器職人の工房に弟子入りし、さまざまな塗の技法を覚えたという。その数なんと約50種類だそうだ。その頃に作ったという後藤さんの処女作を見せていただいた。卵殻によって植物の文様を浮き出した大皿だ。
「これはいくら貧乏しても絶対に売らないんだ」 と大事そうにお皿を抱えていた後藤さんが印象的だった。
修行から帰り、鳴子漆器の職人としての道をスタートするのだが、その仕事には秋田の修行がとても役にたったという。鳴子漆器の手法だけではなく、さまざまな角度から漆器を考えることができたからだ。

伝統のその先に行くために

後藤さんは言うまでもなく、鳴子漆器のスペシャリストだが、先ほども言ったようにいろいろな手法を駆使している。後藤さんに案内され工房に入り、さまざまな作品を見せてもらった。そこで中田の目を引いたのは、黒が透けて見えるような深い色合いの朱塗りのお盆。器には、何層にも漆を重ねてから研いで現れた繊細な線があしらわれている。
「この線はね、木星の輪をイメージしたんだよ」
「なるほど。今は全部同じサイズお皿ですが、例えば、同じデザインでサイズを1枚1枚変えると、重ねたときに上から線だけが見えて、置いておくだけでもかわいいかもしれませんね」
そんなふうに中田が感想をいうと、「うんうん、たしかに。そうか、面白いね。今度作ってみっか」 と後藤さんは受けてくれた。
「やっぱりね、人の話を聞かなきゃわからないんだよ。自分だけだと何でも限界があるからね。そういうのも作ってみたい」
中田の思いつきにも真剣に耳を傾ける。そして 「作ってみようか」 と言う。この柔軟性が鳴子漆器という伝統をこの先につなげていく原動力なのかもしれない。

ACCESS

後藤漆工房
宮城県大崎市鳴子温泉字新屋敷122-2
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