鹽竈神社の御神酒酒屋としてはじまった
「浦霞 (うらかすみ)」 といえば、日本酒好きならずとも聞いたことがあるのではないだろうか。全国的に有名なこの銘酒を造る株式会社佐浦を訪ね、十三代目蔵元 佐浦弘一さんにお話を伺った。
株式会社佐浦は1724年に鹽竈神社の御神酒酒屋として創業。古くから東北有数の海産物の水揚げと海運の要所だった塩釜港や鹽竈神社があり、人の往来が盛んなこの町で酒造りが行われてきた。
現在は築150年・土蔵造りの 「享保蔵」、大正から昭和にかけて建てられた 「大正蔵」、東松島市にある 「矢本蔵」 の3つの蔵で年間12000石を製造する、まさに宮城県を代表する酒造メーカーだ。
自家培養酵母と地元産米で醸し出す
商品を見ていた中田が、「トヨニシキを使っているものが多いんですか?飯米ですよね?」 と質問する。
「そうです。トヨニシキは宮城では古くから使われていて、全国新酒鑑評会で受賞したこともあります。昭和60年代には宮城県独自の“純米酒”を造ろうという目標にみんなが向かった時代があり、宮城は米どころですから、ササニシキやトヨニシキといった一般米を仕込んで酒を造っていました。宮城の酒造好適米 「蔵の華」 が生まれたのは、平成になってからなんですよ」
株式会社佐浦は、地酒の酒質向上のため尽力した酒造としても知られている。研究や開発に加えて、南部杜氏が集まり若手の育成も行われた。
その中でも有名なのは、「協会酵母12号」。昭和40年に 「浦霞 吟醸醪」 から分離し採取されたこの酵母は 「初代宮城酵母」 「浦霞酵母」 とも呼ばれ、全国各地の酒蔵が使用したという。株式会社佐浦では生産量の大半を自家培養酵母と地元産米で醸しているのだという。
「浦霞禅」の生まれたきっかけ
株式会社佐浦の主力商品に 「浦霞禅」 という銘酒がある。この酒が生まれたきっかけを話してくれた。昭和40年後半に、瑞巌寺で修行されたお坊さんがフランスに禅の普及に行くというので、先代が 「それでは浦霞もフランスに日本酒を輸出して普及をしようじゃないか!」 と思い立ち、吟醸酒を造ったのだという。
「結局、その当時は輸出ができなかったんです。それでも、地方の酒蔵が生き残るためには、何かしら差別化を図ることは必要だったんだと思います」と佐浦さんは語る。「浦霞禅」 は、低温でじっくりと醸し出された上品な味わいが評判となり、国内の吟醸酒ブームに火をつけた。
常に時代の先を見据えながら、確実な酒造りを続ける。それこそが 「浦霞」 というブランドが持つ信頼に繋がっているのかもしれない。
「地元の復興なくして、自社の真の復興はない」。東日本大震災の中で搾ることのできなかった大吟醸の原酒と蔵王産の梅を合わせて、梅酒を漬けた。その特別な梅酒はヨーロッパのレストランでも取り扱われたという。
宮城の酒文化を世界へ発信し、地元だけでなくより多くの人に愛される酒造りに向かっているのだ。