地域の助け合いが紡ぐ重要無形民俗文化財「阿波晩茶」殿川綾女さん

地域の助け合いが紡ぐ重要無形民俗文化財「阿波晩茶」殿川綾女さん

徳島県東部に位置する上勝町は大小55の集落からなる人口1500人ほどの四国一小さな町でありながら、2003年に「2020年までにごみをゼロにする」という目標をたて、「ゼロ・ウェイスト宣言」を日本で初めて行った先進的な町としても知られている。


阿波晩茶(あわばんちゃ)の生産者、殿川綾女さんの家までは、クルマがすれちがうのも難しいような狭く曲がりくねった道をゆく。霧がたちこめた谷地には、棚田も見える。日本の農村の原風景のような美しい町だ。 阿波晩茶とは、徳島県で古くから飲まれてきた特産茶のこと。中国茶の「プーアル茶」や、高知県の「碁石茶」と同じく乳酸菌を使って茶葉を発酵させた“後発酵茶”で、2021年にはその製造技術が認められ、国の「重要無形民俗文化財」に指定された。


到着すると阿波晩茶作りの名人である殿川さんは、地元の女性たちと一緒に腰に茶摘みカゴを着けて茶葉を摘んでいた。「収穫といっても茶畑じゃないんですよ。山に自生した茶の葉をとるんです」(殿川綾女さん)ヤブのなかを分け入り、茶木を見つけては葉を摘み続ける。収穫の仕方は摘むというよりは、枝から“むしる”といったほうがいいかもしれない。

「どのくらいの量をつくるんですか?」(中田)

「うちだと70kgくらいかな。家で飲む分と、友だちに配る分がほとんどで、余ったものを市場に出しています。商売にはならないですよ。先祖代々やっているので、それを私も受け継いでいるんです」(殿川さん)


市場ではほとんど目にすることのない阿波晩茶だが、上勝町ではいたってポピュラー。冬は温かく、夏は冷やして。赤ん坊の風呂用につかうこともあるという。

収穫の翌日、朝9時に殿川さんの自宅に伺うと、庭先の大きなブルーシートの上に、5日間かけて収穫した野生の茶葉を広げているところだった。そこからまずは枝やゴミを取り除き、大きな鍋で茹で、機械で揉捻し、そして桶で漬け込む。重要なのは、茶葉の茹で具合だ。 「何度のお湯でどのくらいの時間茹でるか決まっているわけじゃないんですよ。葉っぱの具合を見ながら、そろそろかなと思ったらそこで終わり。勘みたいなものかな。私もだれかに教わったわけじゃないんだけど、子どものころから見ているからね。それでなんとなく覚えたんですよ」(殿川さん)


一家総出で行われる阿波晩茶づくりは、この地域の夏の風物詩。揉捻機や鍋、ボイラーを貸し出す業者の方は、この時期、1日に何軒もまわって阿波晩茶づくりを手伝うのだという。みんなで作業を分担し、手際よく茶づくりが進む。

「近所の人も茶摘みや茶づくりを手伝ってくれるんですが、みんなボランティア。このあたりでは、昔から“手間借り”、“手間返し”といって、お互い忙しいときは助けあうのが当たり前。ずっとそうやってきました」(殿川さん)

茹で上がり、揉捻された茶葉が大きなバケツのような桶に移されると、まずは長靴を履いた人がこれをギュッギュッと踏んで隙間から空気を追い出す。小山ほどあった茶葉がどんどん桶に入れられていく。最後の茶葉が入れられ、じゅうぶん踏み込まれたところで、茶色くなった茹で汁が注ぎ込まれた。こうして梅雨明けあたりに漬け込んだ茶葉はお盆が終わる頃に取り出す。その間に茶葉が醗酵する事で独特の風味が生まれるのだ。


「石を持ってこようか」。殿川さんの掛け声で、家の裏手から大きな石がいくつも運ばれてきた。殿川家に代々伝わる漬け込み用の石だ。こういった作り方も阿波晩茶が“漬物茶”と呼ばれる所以。殿川家では、他家よりも重い150~180kg分。石をどのくらい積むかも家によって異なる。さらに石の積み方にも殿川さんはこだわる。石の向きや置き方によって、茶葉にかかる圧力が変わってくるからだ。

「これで終わり! 4週間くらい待って、天日で乾燥させたら阿波晩茶のできあがりです」(殿川さん)


作業を終え、みんなで冷えた阿波晩茶を飲む。茶摘みから漬け込みまで、殿川さんを中心に地元の方々がとても楽しそうにしていたのが印象的だった。阿波晩茶は、地域のコミュニケーションツールとして大きな役割を果たしている。それは、作ったお茶を売って収入を得ることよりもずっと貴重なことのように思えた。

ACCESS

Kamikatsu-TeaMate
徳島県勝浦郡上勝町大字正木字平間155-1
TEL 080-5710-3785