NIHONMONO「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン

刀剣研磨の高度な技術とで芸術性を後世に伝える人間国宝「本阿弥光州さん」

刀剣研磨の高度な技術とで芸術性を後世に伝える人間国宝「本阿弥光州さん」

「本阿弥」という表札を見て、頭のなかで日本史の教科書をめくり直す。その名前に江戸時代に書家、陶芸家などとして活躍した本阿弥光悦を思い浮かべる人も多いだろう。東京都大田区の閑静な住宅街の一角に佇む和風の一軒家の主は、本阿弥光洲。日本刀の鑑定、研磨を行う人間国宝(重要無形文化財保持者)だ。

「鎌倉時代は馬の上で戦うために長い太刀が主流でしたが、室町時代になると地上戦で短い刀が使われるようになりました。当時は新しい刀を作るのではなく、長い刀の刀匠名が入った部分を切って短くしたので、誰が作ったものか分からなくなったことから、鑑定という仕事が必要になったようです。刀は武士の位を示すものでしたから、どんな刀を持っているかということがとても重要だったんです」(本阿彌光洲さん)

本阿弥家は、初代の本阿弥妙本が足利尊氏の刀劍奉行を務めて以来、代々鑑定や研磨を手掛け、日本刀のプロデューサー役を担ってきた。「折り紙付き」という言葉があるが、この語源は本阿弥家が発行していた刀剣の鑑定書のこと。本阿弥家が鑑定した刀であるという証明がつくことで刀の価値が高まったことから、言葉が広がったのだ。

日本刀にはさまざまな刀姿・刃文があり、帽子、茎形、銘を鑑賞する、非常に高度な芸術性を持つ作品だ。一振りの日本刀が完成するまでには、刀鍛冶が玉鋼から鉄を叩き出し成形した後、研ぎ、彫り、拵(こしら)えと呼ばれる「鞘(さや)」や「柄(つか)」を整える工程など、実に多くの職人の手で分業されるのだが、その手配をするのが本阿弥家だという。
本阿弥光悦の本職もこの刀剣の鑑定や研磨であったのだが、書画・陶芸・漆芸・作庭など多方面に芸術性を発揮したことや、徳川家康から拝領した京都鷹峰に多くの職人仲間などと移住して芸術村を作ったことなどから、文化人として歴史に名を残した。

現宗家である光洲さんもまた、優れた日本刀を世に送り出すだけでなく、国宝・重要文化財等に指定された数多くの刀剣の研磨も手掛けるなど、文化財の保存にも大きな役割を果たしている。

光州さんの工房では、シュッシュッという刀を研ぐ音が響いている。板張りで北窓になった研磨作業のための部屋は、静謐で神聖な空気に包まれていており、全国の美術館や収集家が持つ名刀が研磨されるのを待っている。
「本阿弥家ならではの研ぎ方があるんですか?」(中田)

「代々伝えられているのは、『地鉄は秋の澄んだ空のように青黒くしなさい。刃文は松に積もった雪のようにふんわりと研ぎなさい』ということ。技術自体はずっと変わっていません。いわゆる秘伝の技のようなことはいくつかありますが、大切なのはもともとその刀が持っているいいところをいかに引き出すかだと思っています」(本阿彌光洲さん)
光州さんの研磨は、現代の刀匠の個性や作風に合わせて見どころを強調しながら各工程を丁寧に進め、それぞれの刀剣の美点を最大限に活かして完成させるものとして、高い評価を得ているという。

自然の光で刃文を確認し、天然の砥石だけを使って刃を研ぐ。光り輝く日本刀を見ると、そこに宿る武士の魂まで生き返ったように感じるのは、私だけではないはずだ。

ACCESS

日本刀文化振興協会
URL https://nbsk-jp.org/