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店の軒先にかかる木の看板少し想像してみてください。江戸時代、街の一番大きな目抜き通り。酒屋さんがあり、醤油屋さんがあり、かんざし屋さんがあり。店先からふと目をあげると、「○○屋」という木の看板が掲げられている。大きな店になればもちろん看板もどっしりとより立派に輝いている。 今回は、その看板を作る職人さん、看板彫刻師の坂井保之さんにお話を伺いに行った。 「檜は柔らかいけど、もちがすごくいい。法隆寺は檜で作られていますね。ゆっくりと強さが続く」 |
看板刀で彫り出す木の看板坂井さんは3メートルという大きなものから手のひらに収まるような小さなものまで、文字や表現に合わせていろいろな技法を駆使して、何でも看板刀という小刀で彫り出してしまう。現在は看板の文字には科学塗料を使用して保存性をよくしているために、漆塗りの看板というのはほとんどなくなったが、昔は専門の塗師たちもいたそうだ。 |
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看板を掲げることの重み「昔は看板に大きな意味があった。看板には一種の矜持みたいなものがあった。でも今は会社が大きくなって、大きなビルに移るみたいなことがあったら、看板も変えてしまう。だから、私は残したらどうかと言うんです。僕らは、生きているものをビルのどこかにおいてもらいたいという思いがあるんです」 昔は修行をして一人前になったら、看板を持つということが一種のステータス。「看板を掲げる」とか「看板を背負う」などという言い回しが現在でも残っているが、それだけ看板というものには大きな意味があったのだ。 坂井さんの「生きているもの」という表現が印象に残った。看板は作ったらそこでおしまいではない。お店の成長とともに、看板も成長する。だから坂井さんにとって看板はお店とともに「生きているもの」なのだ。3代続く福善堂の彫刻師坂井さんの言葉には看板とともに、生きる人たちの姿が映りこんでいた。 |
ACCESS
- 福善堂坂井看板店
- 東京都台東区松が谷3-4-1
- URL http://www.interq.or.jp/tokyo/fukuzen/