大豆飴の伝統をつなぐ。「梅屋常五郎」と「鵬学園高等学校」の挑戦/石川県七尾市

石川県七尾市には、鎌倉時代から伝わる伝統菓子がある。きな粉と水あめで作る和菓子「大豆飴(まめあめ)」。時代を超えて愛されてきたが、近年は和菓子離れが進み、地元でも大豆飴を知らない人が増えている。現状を打開するため、和菓子店「梅屋常五郎」と「鵬(おおとり)学園高等学校」の生徒たちが新たな挑戦を始めた。

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鎌倉時代にさかのぼる「大豆飴」の歴史

大豆飴と書いて「まめあめ」と読む。石川県七尾市に古くから伝わる和菓子で、きな粉と水あめを練り合わせた素朴な味わいで親しまれてきた。もっちりとした食感と大豆の香ばしい風味が懐かしさとともに口の中に広がり、思わず顔がほころぶ。

ひと言で「古くから」といっても、その歴史は100年や200年ではない。約800年前の鎌倉時代、能登国(現在の七尾市を含む石川県北部)を治めた武将・長谷部信連(はせべのぶつら)が、主君の源頼朝に大豆飴を献上した記録が残されている。また安土桃山時代に七尾を拠点とした武将・前田利家も大豆飴で豊臣秀吉をもてなしたといわれ、いかに長くこの地に根付いてきたかがうかがえる。

栄養価が高く日持ちすることから、江戸時代から明治時代初期にかけて日本海を往来した北前船の非常食としても重宝されたという。

七尾の伝統菓子・大豆飴を製造する「梅屋常五郎」

能登半島のなかほどに位置する七尾市は、古来より能登の政治・経済の中心地として栄えた地。室町時代には守護大名・畠山氏(はたけやまし)が、安土桃山時代には前田利家が城下町を築き、大いに繁栄した。こうした背景のもとで茶の湯文化が花開き、和菓子もさかんに作られるようになったという。1915年創業の和菓子店「梅屋常五郎」は七尾の和菓子文化を伝える1軒だ。

4代目の宮川雅州(みやかわ まさくに)さんは和菓子職人として腕を磨き、2020年に先代の父から店を継いだ。看板商品は大豆飴。時代の移り変わりとともに大豆飴を製造する店が減っていく中、宮川さんは代々受け継いできた素材や製法を忠実に守り、七尾伝統の味を伝えてきた。

一方でこんな思いも抱えていた。「大豆飴を買ってくださる方は年配の方がほとんど。若い世代になると、大豆飴を見たことも食べたこともないという方が多い。どうすれば若い人に大豆飴を買ってもらえるだろうか」。先細りしていく伝統と、時代のニーズのはざまで気持ちは揺れていた。そんな折、地元の高校生からこんなオファーを受けた。「一緒に新しい大豆飴を作ってほしい」。

大豆飴になじみがない高校生たちの挑戦

宮川さんに協力を依頼したのは、七尾市にある鵬学園高等学校の生徒たち。鵬学園は自由な校風で知られ、石川県内で唯一の調理科を持つ。

授業の一環として取り組む探究活動で、あるグループが大豆飴に注目した。「七尾の伝統菓子といわれているけれど、若い世代はあまり知らないし、食べたこともない」。それは宮川さんと同じ思いだった。

伝統を絶やさないために、自分たちができること

生徒たちは大豆飴の認知度を調べるため、七尾市内の小学5・6年生と中学1〜3年生にアンケート調査を行った。結果は「知らない」が92%。「このままでは大豆飴の長い歴史が途絶えるかもしれない」と危機感を抱いた。

大豆飴を若い世代に知ってもらうためには新しい切り口が必要なのではないか。生徒たちはそう考え、新たな大豆飴の開発を目指して宮川さんに協力を仰ぐことにした。

開発にあたって目標に据えたのは「若い世代に受け入れてもらえる新しい味わいの大豆飴を作る」こと。そこで地方創生にも取り組む中田英寿氏が代表を務めるJAPAN CRAFT SAKE COMPANYに熱意をつづった手紙を送り、監修を依頼した。これまで多くの企業の商品開発を手がけてきた中田氏の知見を借りて、今までにない新しい大豆飴を作りたいと考えたのだ。

中田氏英寿監修のもと、商品開発がスタート

宮川さんと生徒たち、中田氏との間でオンラインミーティングやメールのやり取りを重ねながら、新しい大豆飴の開発に向けた試行錯誤が始まった。「もっと食感を楽しめるように」「味わいのアクセントにふさわしい素材は何か」「もっと食べやすいサイズに」と課題に一つひとつ対応しながら試作を繰り返す。誰ひとり妥協することなく改良を続け、味わいはどんどん磨かれていった。

宮川さんにとって、中田氏のアイデアも生徒たちの発想も固定観念を打ち破る新鮮さにあふれていたという。「思いもよらない発想だったり、ユニークなリクエストだったり。皆さんの意見を取り入れて作ることには難しさもありましたが、職人としてやりがいを感じました」と笑みを見せる。そして何より、試作を重ねるたびにおいしくなっていく過程に宮川さんは大きな喜びを感じていた。

一方、生徒たちは中田氏とのやり取りの中で、商品開発に大切なのはおいしさだけではないことも学んでいた。商品コンセプトや価格の設定、パッケージデザイン、ネーミング、販売戦略などやるべきことはいくらでもあった。商品が完成して終わりではない。多くの人に手に取ってもらい、売れ続ける商品にするための方法を、中田氏のアドバイスのもとで探求し続けた。

約5ヶ月かけて、現代的にアレンジした大豆飴が完成

ターゲットに据えたのは、旅行意欲の高い30代女性。素材はできるだけ地元産にこだわり、大豆飴にモダンなエッセンスを加えるためチョコレートを使うことにした。

最も工夫を重ねたのは食感と風味の表現だ。きな粉は香ばしさを際立たせるため、店内で大豆を挽いて鮮度を保持。耳たぶのような柔らかさを追求した生地の中にナッツを入れ、食感の対比を楽しめるようにした。ナッツは風味が異なるクルミ、アーモンド、ヘーゼルナッツの3種類。オーブンで焼いて細かく砕き、キャラメルをからめた後にチョコレートでコーティングすることで味わいに厚みを持たせた。

全体の味を引き締めるアクセントとして選んだのは、能登産の塩と醤油。手間をかけて手作りした大豆飴は、ひとつ、またひとつと、つい手が伸びる味わいに仕上がった。

能登復興への思いを新しい大豆飴にのせて

実は生徒たちの探究活動には、もうひとつのテーマがあった。2024年の能登半島地震で大きな被害を受けた七尾市を「元気にしたい」という思いだ。七尾市内では数多くの建物が倒壊し、鵬学園の校舎にも陥没や外壁のひびなど大きな傷跡が残る。市内には2次避難先や仮設住宅で暮らす人も多く、街も人も傷ついたまま再建の途上にある。

新しく開発した大豆飴の商品名は「復興の一歩に。そして買ってくれた人に福が来るように」と願い「FUCCO(福来:ふっこ)」に決めた。梅屋常五郎の店頭や金沢駅で販売するほか、全国の多くの人に手に取ってもらえるようにインターネット販売とふるさと納税の販路も確保。売り上げの一部は復興支援金として七尾市に寄付することにした。

生まれ変わる大豆飴に、まちの未来を重ねる

「2024年を、震災が起きた年ではなく『復興元年』に塗り替えたいんです」と生徒たちは力を込める。大豆飴の伝統を新たな形で表現したように、七尾のまちも前向きに復興していけたら。大切なふるさとの未来を描く彼らの思いは、真っすぐで気負いがなく、軽やかだ。

800年の伝統をつないできた誇りを復興の力に

宮川さんは若い世代の感性に触れ、さまざまな学びを得たという。伝統を守ることは、すなわち「想いをつなぐ」こと。「昔ながらの大豆飴のレシピを時代に合わせて変えるのもひとつの方法かもしれませんが、今回のような交流を続けていくことも伝統の継承につながると思います」。新たな交流と視点を広げながら、七尾の誇りである伝統菓子を後世につないでいくことが、これからの宮川さんの目標だ。

生徒たちにとって大豆飴の歴史をたどることは、七尾の歴史をたどることでもあった。鎌倉時代に源頼朝が食べた大豆飴と、宮川さんが受け継いできた大豆飴、そして自分たちが開発した新しい大豆飴。それらが1本の線でつながっていることに、誇らしさを感じたという。「800年も受け継がれているってすごいこと。ポテンシャル高すぎでしょ」と目を輝かせる。

地震の傷跡があちこちに残る七尾市で、和菓子の老舗と地域の高校生たちが挑戦した今回の共同開発プロジェクト。大豆飴を通じた縁から生まれた「FUCCO」は復興への願いをのせて七尾の街へ、そして全国へと広がっていく。

「伝統を守る」とは「思いをつなぐ」ということ。ふるさとに思いをはせて作った「FUCCO」が、傷ついた七尾の街に希望を上書きする新たな伝統菓子となることを、宮川さんも生徒たちも願っている。

ACCESS

梅屋常五郎
石川県七尾市作事町1
TEL 0767-53-0787
URL https://www.umeyatsunegoro.jp/
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