茶筅の里で受け継がれる伝統
竹の穂先が茶碗に軽く触れる。茶席で聴こえてくる湯を混ぜる音。
茶の席で目が行きがちなのが、椀や茶壷の陶磁器だが、茶筅(ちゃせん)も重要な茶道具のひとつ。ここ生駒市高山は、全国生産量のうちの8割から9割を占める、茶筅の里である。
高山茶筅の歴史
茶筅が茶の席の必需品となるのは、抹茶が主流となった15世紀なかごろだ。わび茶の創設者といわれる村田珠光(むらたじゅこう)と親交のあった宗砌(そうぜい)が、茶を攪拌する道具の製作を依頼され、苦心の末に作り出したのであった。宗砌の製作した茶筅はときの天皇に献上され、天皇はその美しさに感動し、彼の茶筅に「高穂」という名を贈ったという。それが高山茶筅の始まりである。
高山茶筅の製作技術は秘伝とされ、親が子に伝える「一子相伝」で受け継がれてきた。今回伺った谷村丹後さんは、その流れの20代目にあたる。
繊細な技術の宿る茶筅
茶筅は「道具」だ。だから使いやすさが第一。使用する竹の性質によって、削り方も変えなくてはいけないという、非常に繊細な技術を要するものなのだ。ずらりと並んだ茶筅を眺める。じっくりと目をこらしていくと、穂先の一本一本まで神経が行きとどいた作品であることが伝わってくる。それが、造形の美しさについ目を奪われる結果を生むのだろう。
この工房では茶杓(ちゃしゃく)の製作もしている。中田も茶杓を削りだす作業を体験させてもらった。一本の竹から茶杓を削りだす。彫刻刀を持つ手にも力が入る。
ともすれば茶の席の脇役になりがちな茶筅だが、じっくりと相対するとじつに奥深い。その優美な姿は500年の伝統が削りだす芸術なのだ。