山あいに佇む「御船窯(みふねがま)」のギャラリーには、双子の兄弟が手がける2種の器が並んでいる。土と炎が力強い質感を生み出す「焼締め」と、塗り重ねられた釉の層に光を宿す「青磁」。弟の津金日人夢(つがねひとむ)さんは、陶芸のなかで最も難しいとされる青磁の道を選んだ。
脱サラした父の窯。暮らしの器の時代

御船窯があるのは、市街地から少し離れた山あいの森のなか。今から40年ほど前、脱サラした父が熊本県八代市で約400年続く陶磁器・高田焼の技法を学び、独立。この地に窯を築いたのが始まりだった。高田焼は青磁で知られるが、父は青磁には取り組まず、わらや木など植物灰を原料とした釉薬による灰釉(はいゆう)陶器や粉引きといった日用の器を手がけた。焼き物ブームの中で、あちこちに窯元が乱立していた時代だったが父の器は人気を集め、週末ともなれば駐車場に入りきらないほどの人が、この窯を訪れた。
窯元から作家へ、青磁という賭け

そんな環境で育った津金さんは、佐賀県有田にあった全国唯一の窯業専門の専修学校で陶芸の基礎を学び、卒業後、帰郷。卒業後は父の片腕として日用の器としての茶碗を何十個も作り、展示会が終わればまとまったお金をもらう。求められる数を、決められた形で作る“職人”的な働き方だった。しかし、窯元を続けていくには、これまでのように山あいの窯で日用の器を作って並べ、客を待つだけでは難しい時代になっていた。
「このままでは続かない」。
そう感じるようになった津金さんは、量ではなく、作品そのものと向き合う道を考えはじめる。
「ならば、作家として何をやるのか」。
そう自問したとき、たどり着いたのが青磁だった。陶芸の世界でも最も難しいと言われるジャンルで、手がける人も多くはない。だからこそ、それを極めてみたいと思ったという。青磁の起源は古代中国にさかのぼる。素地に透明釉をかけ、窯の中を酸欠状態にして焼成すると、釉薬に含まれる鉄分が青く発色する。しかし、天然原料の釉薬は鉄分量が安定せず、素地の土や炎の具合によっても、仕上がりの色は異なる。イメージ通りの青を出すのは、容易なことではない。その難しさから、青磁はかつて、「手を出すと身代を潰す」と言われ、体系的に学ぶ環境もほとんどない中で、津金さんは本を買い集め、理解できない部分は他の文献で補いながら、独学で青磁の研究を重ねていった。
「このままではダメだと思って始めた青磁でしたが、やってみると、どんどんのめり込んでいきました」。
厚い釉、薄い土——青磁を組み立てる技術

最初は不思議なほど順調だった。地方の展覧会で賞も取れた。だが、日本工芸会の世界へ入ると、こう言われた。「それは青磁じゃない。本物を見たことがあるのか」。
日本工芸会の世界では、地方の展覧会とは評価の基準がまったく異なる。作品の出来栄えだけでなく、素材や技法、歴史的な文脈まで含めて「本物の工芸かどうか」が厳しく問われる世界だ。津金さんの認識は、根本から覆された。青磁は、ただ青や緑に見えればいいわけではない。特徴は、釉薬を驚くほど厚くかけることだ。一般的な器が1ミリ未満なのに対し、青磁では2ミリ以上、場合によっては4ミリを超える。厚い釉の層の中で光と鉄分が反応し、あの深い色合いが生まれる。
釉薬が厚い分、土台となる器は極端に薄く作らなければ、品が出ない。だが、薄くすればするほど、焼成の途中で土が耐えきれず、へたったり歪んだりしてしまう。
そこで必要となるのが、土そのものをつくる作業だ。津金さんは日本各地の土を試し、焼きに耐える強さや、成形のしやすさ、焼き上がりの安定感などを少しずつ調整し、独自に配合していった。「これでいい」と思っても、また手を入れたくなる。その繰り返しだ。
時間が描く線。貫入という名の表情

釉薬のかけ方も、同じように手間がかかる。内側に3回、乾かしては重ね、外にも3回。焼く前の姿は、本当に青磁になるのか?と疑うほど、完成系からはほど遠い。しかも、窯の中の状態が少し変わるだけで、色は簡単にブレてしまう。「酸素の具合ひとつで、青磁は黄色にも傾きます。色をつくるのではなく、厚くかけた釉薬の中で、鉄分の発色を引き出す。それが、青磁という焼き物だと思います」。津金さんはそう話す。

津金さんの器の中でも特徴的なのが、「貫入青磁(かんにゅうせいじ)」と呼ばれるものだ。貫入とは、焼き上がった器を窯から出し、冷ます過程で生まれる細やかなヒビのこと。青磁では、土と釉薬の収縮率のわずかな違いによって、表面の釉薬に細かな亀裂が入る。薄い氷が張ったように見えるものもあれば、ヒビにベンガラを擦り込み、赤い線として際立たせたものもある。一般的には、こうした貫入は偶然に生まれるものとされる。しかし津金さんは、釉薬の厚みや焼成、冷却の条件を細かく調整し、貫入の入り方そのものを作品の表情として引き出している。
貫入は、必ずしも窯から出した瞬間に入るわけではない。数日後、ときには1ヶ月ほど経って、「バキン」と音を立てて入ることもある。赤く浮かび上がる線と、後から入る透明な線。その重なりが、使い込むほどに器の表情を変えていく。
青磁の品格を決めるもの

津金さんは、日本工芸会が主催する国内最高峰の公募展「日本伝統工芸展」に初入選して以降、作品が宮内庁に買い上げられるなど評価を高めてきた。さらに「日本工芸会賞」の受賞をはじめとする実績を重ね、青磁の分野で確かな地位を築いている。一方で、賞をめぐる価値観は、この十数年で大きく変わったという。かつては、受賞が百貨店の催事を呼び、客もそれを目印に訪れた。今は、個人の感覚で器を選ぶ人が増え、「賞がすべてを決める時代ではなくなってきた」と、津金さんはいう。
それでも彼の中で揺るがないのは、青磁に求められる「品格」だ。目指すのは、雨過天青(うかてんせい)と呼ばれる、水のように澄んだ青。その理想に近づくため、中国の青磁の系譜を学び、現地にも足を運ぶ。ルーツを知ることが、新しい表現への確かな土台になると考えている。
窯はガス窯を使う。窯の種類にこだわるのではなく、作品にふさわしい炎を選ぶという考え方だ。青磁には、不純物の少ない、強く安定した炎が欠かせない。
さらに近年は、原料そのものが失われつつある。土を掘る人が減り、長年使ってきた土が「もう出せない」と告げられることもある。
津金さんは、手に入る分を確保しながら次の土を探し、原料屋とも現場で会って関係をつなぐ。「土を掘る人がいなければ、僕らも作れない」。
使われることで、完成していく

目標は、「津金の青磁、いいな。ひとつ持っておきたい」と思わせる作り手になること。箱に入れて飾る器ではなく、食卓で使われ、ふと「それ、誰の?」と聞かれるような器をつくりたいと考えている。
青磁は地味で、下積みが長い。歩留まりも決して良くはない。それでも、難しさの先にある品格に惹かれ、辞めなかった。“70歳を超える名匠でさえ、捨て場に失敗作が山ほどある”。その話を聞いたとき、肩の力が抜けたという。
「一生やる」。その言葉を、静かに噛み締める。
器は、焼き上がって終わりではなく、使われることで少しずつ、完成していく。津金さんの仕事もまた、そんな風にゆっくり積み重ねられている。



