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再建をかさね、現在の姿に
奈良、鎌倉とともに、日本三大大仏に数えられている高岡大仏。
現在ある大仏は1932年に鋳造された銅製のものだが、もともとは1221年に源義勝が高岡市と氷見市にまたがる二上山(ふたがみやま)の麓に建立した木造の大仏が始まりであった。
その大仏が、1609年、加賀藩第二代藩主・前田利長によって現在の土地に移転され、それ以来、全国から「高岡の大仏」として親しまれてきた。
ところがその後、高岡は幾度となく大火に見舞われることになった。
大仏も消失と再建を繰り返し、「もうこれ以上、高岡の象徴をなくすことがないように」との思いから、1933年に銅製の現在の大仏が開眼した。
与謝野晶子も讃えた高岡大仏
1933年の開眼当時に、歌人の与謝野晶子が高岡の町を訪れ、大仏見物にもやってきた。そのときに言った言葉が、「鎌倉大仏より、一段と美男」というものだったそうだ。70年以上同じ位置から、「美男の大仏」は高岡の町を見守り続けている。
高岡の祖・前田利長の眠る寺「瑞龍寺」/富山県高岡市 – NIHONMONO
前田利長を弔う瑞龍寺 国宝にも指定される「瑞龍寺(ずいりゅうじ)」の始まりは、1614年。加賀藩の第二代藩主・