富士の湧水で紡ぐ伝統の清酒と挑戦のウイスキー「井出醸造店」/山梨県南都留郡富士河口湖町

江戸時代から300年以上続く老舗酒蔵「井出醸造店」。富士山の北麓、河口湖のほとりで日本酒を作り続けてきた酒蔵が近年、新たに独自のウイスキーを作り始めている。伝統の名酒の味を守りつつ新たな挑戦に飛び込む次期代表の想いと、老舗酒蔵のこれからを聞いた。

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湖のほとりにある酒蔵

富士山の麓、富士五湖の内のひとつであり、例年多くの観光客が訪れる河口湖。そのほど近くに、今から300年以上前の江戸時代中期から続く老舗の酒蔵「井出醸造店」がある。現在清酒の醸造から販売、そして新たにウイスキー作りに取り組む22代目の、井出宇俊(いで たかとし)さんに話を聞いた。

醤油の醸造から始まった酒蔵

「井出醸造店」の始まりは1700年頃まで遡る。富士山の北麓に位置するこの地域では湧き水や地下水は豊富であるものの、川が無く岩盤が固いため水路を掘削する事が難しかった。そのため、当時は田畑に水を供給することができず、清酒の原料である米作りには適さない土地だったという。対して雨水を利用した大豆の栽培が盛んであったため、当時の11代目・井出與五右衞門(いで よごうえもん)が、その大豆を使った醤油の醸造を始めるために蔵を開いた。1850年頃になると、16代目・井出與五右衞門が標高850mの涼しい気候と、豊富に湧き出る富士山の湧き水に注目。同じ山梨県内で米作りが盛んだった地域の米を仕入れ、清酒の醸造を始めた。ここから井出醸造店の清酒作りが始まった。

水田の少ない北麓地域のお米だけで全ての原料を賄うのは難しいため、現在は山梨県内をはじめとした全国様々な米農家から米を仕入れているそうだが、「地元の人の誇りになる清酒を造りたい」という想いから、近年は富士北麓地域のお米「玉栄(たまさかえ)」を使った銘柄、特別純米酒の「北麓(ほくろく)」なども展開している。しかし、いかに慎重に仕入れ先を選定しても、年度や産地によってお米の状態にばらつきが出てしまうことは、ある程度避けられないそう。「いかに製品に影響を与えず、蔵の味、同じ味を上手く消費者に届けられるかというのも、清酒造りにおける技術のポイントだと思っています」と、宇俊さんは自社の技術に自信を覗かせた。

井出醸造店の誇る日本酒

“富士山の湧水を使う”ことを全体のコンセプトに、「そのイメージを崩さないよう綺麗な清酒を作ることを心がけています」と語る宇俊さん。そんな井出醸造店の代表的な銘柄が「甲斐の開運」だ。清酒の醸造を始めた1850年頃は、偶然にも皇女、和宮(かずのみや)様の婚姻と同時期だったそう。それにちなんで「運が開け、幸せに向かうように」と開発した清酒に「開運」という名前が付けられた。後の1985年、長年にわたって人々に親しまれ続けた開運は、山梨の酒蔵としてより地域性を打ち出した甲斐の開運と名前を改め、現在まで醸造されている。その味は口当たりが滑らかで、少し辛口な味わい。キレが良く、食事のひと時にピッタリな仕上がりとなっている。

すっきりと揺らぎのない「甲斐の開運」

井出醸造店の酒質を支えているのは、蔵の真下を流れる“富士の水”だ。標高約1,100メートルの地点から汲み上げられる伏流水は、富士山の火山層を80年かけて通り抜け、玄武岩層などによる天然ろ過を経て磨かれたもの。澄みきった柔らかさを湛えたこの水こそが、同店が目指す“綺麗な酒質”の核となっている。「すっきりと綺麗であること」。その基本方針は揺るがず、代表銘柄「甲斐の開運」の心地よい辛口のキレもまた、富士の水の透明感と調和し、食中酒としての魅力を引き立てている。

発酵を司る酵母には安定した協会系酵母を使用し、雑味を極力排しながら素材の味わいを素直に引き出すことを重視。なかでも宇俊さんが「特に大事にしている」というのが、搾った直後のできる限り迅速な火入れだ。空気に触れる時間を最小限にし、酒を安定させるための細やかな管理が欠かせない。火入れ後の酒は温度変化の少ない環境で静かに貯蔵され、一方、生酒は年間を通じて0度以下の冷蔵庫で保管される。繊細な味わいを守り抜くための丁寧な管理が、揺らぎのない清らかな酒を作りあげている。

ここでしか味わえない「生原酒」

酒蔵に併設した売店「酒望子(さかぼうし)」では、清酒をはじめ、醸造過程の副産物である酒粕(さけかす)を使用した食品などがラインナップされている。また2010年4月からは、一般の来客者に向けて酒蔵の見学もスタート。来店者しか味わうことのできない「特別純米生原酒 “囲 Kakoi”」という限定の生原酒も提供している。清酒の醸造過程では米を発酵させてアルコールを作っていく。そうして出来上がった米と清酒が混ざった醪(もろみ)から絞り出された液体を生原酒という。流通させる清酒の多くはここから殺菌のために火入れをしたり、アルコール度数の調整のために加水するのだが、特別純米生原酒 “囲 Kakoi”は、それらの工程を一切加えていない。「搾ってそのまま」のアルコール感に香る米の風味。滑らかな味わいと、微かに残る吟醸香を堪能することができる。

新たな挑戦、「富士北麓蒸留所」の立ち上げ

2020年7月、井出醸造店は新しい挑戦として「富士北麓蒸留所」というブランド名でウイスキー作りを始めた。世界的に見るとアルコール飲料はお米や麦等の原料を発酵させて作る「醸造酒」と、原料を発酵させて作ったアルコールを含む液体を加熱し、気化・冷却の工程を踏んで液体に戻す「蒸留酒」に分けられる。更にウイスキーであれば蒸留して作った原酒を木製の樽に入れ、長期間保存する「熟成」の工程が必要となる。これまで醸造酒を作って来た井出醸造店にとって、この「蒸留」「熟成」の工程は未知の領域だった。

「発酵の知識や実体験はあったのですが、蒸留、熟成に関しては全く未知だったので、本当に何もわからないところからのスタートでした」

「数年かけてようやく自社ならではの製造方法が固まって来たが、まだまだ勉強すべきことが多い」と、苦労を語る宇俊さん。蒸留酒を作ってみたいという思いが段々と強くなる一方で、多額の設備投資をしてまでウイスキー作りをスタートさせるか悩んでいた彼の背中を押したのが、近年顕著になっているインバウンド需要の増加だった。酒蔵に訪れる外国人の目当てが清酒だったとしても、ラインナップの中に海外発祥のウイスキーがあれば更に喜んでもらえるのではないか。そんな想いからウイスキー作りに踏み出す決心をした。

酒蔵が作るお米原料のウイスキー

「ジャパニーズウイスキーは今、世界で人気になっているんです。その要因のひとつに飲みやすさがあると思っています。それをしっかり押さえつつ、井出醸造店ならではの個性を出していきたいです」

ジャパニーズウイスキーで用いる熟成樽の多くはミズナラの木でできており、ウイスキーに上品で甘い香味とほのかな甘みを加えるのだそう。そうした「飲みやすさ」に加え、井出醸造店のウイスキーにはもう一手間の工夫が込められている。そのひとつに、通常は発酵工程でウイスキー酵母を使うところを、清酒の発酵に用いる「清酒酵母」を使っていること。もうひとつに、とうもろこし、ライ麦、小麦などの一般的な主原料ではなく、清酒と同じ「お米」を使用していること。こうすることでお米由来の違った甘みが加わり、より奥深く滑らかな口あたりのウイスキーに仕上がる。これらこだわりの背景には、「自分たちにしか作れないウイスキーを作りたい」という想いがある。「清酒の酒蔵が作るお米原料のウイスキー。他では味わえない個性があると思うんです」と、宇俊さんは胸を張る。現在は、前述の清酒酵母とお米を使用したウイスキー『大樹海』と、炭酸水と湧水を加えて更なる「飲みやすさ」を演出した『富士北麓蒸留所 ハイボール』を展開している。

「『普段清酒作りをしている井出醸造店が新しくウイスキー作りを始めた』という、新たな試みを広く周知するために作り上げた商品なんです。市場がどのような反応を示してくれるかが楽しみです」

「飲み飽きない」普通酒を

将来的には22代目として井出醸造店を引っ張っていく宇俊さん。「今の井出醸造店の味である“すっきり感”と“綺麗さ”という軸をぶらさずに清酒を作っていきたいですね」と、これから思い描く未来を語った。加えて、「普通酒」である「甲斐の開運」の醸造にも力を入れていきたいと意気込む。「近年日本各地でも『特定名称酒』に注目が集まりがちですが、古くから生活に根ざしてきた『普通酒』もしっかりと作っていきたいんです」。

「清酒の製法品質表示基準」が定められるはるか前。1850年から味わいを変えずに作り続けられてきた「甲斐の開運」は、ぶれることのない井出醸造店のアイデンティティ。「華々しさこそないかもしれないが、家族で過ごす日々の食卓など、“普通”の瞬間のお供として愛され続けてきたもの。飽きることなく人々に愛され続けて欲しいんです」。“普通”でいられること、いつもの日々を過ごせることに、かけがえのない幸せがある。そんな「甲斐の開運」へ込めた思いが、井出醸造店の歴史と精神を繋いでいるのだ。

井出醸造店のこれから

「日本文化を代表する清酒は、昨今のインバウンド需要を鑑みればこれからも世界から注目されていくと思う。だからこそ、昔ながらの伝統を今に繋ぐ「甲斐の開運」を作り続けていくニーズは十分あると思っています。そうした強い基盤を固めた上で、ウイスキー作りなど現代のニーズにマッチした商品を展開していきたいです。時代はどんどん変わりますからね」

醤油作りから始まり、地域の特性や恩恵に目を向けることで現在まで繋がれてきた井出醸造店の清酒作り。これからも地域に根を張り、受け継いできた味は守り続けながらも、時代の変化へ柔軟に対応しながら新たな挑戦に挑んでいく。

ACCESS

井出醸造店
山梨県南都留郡富士河口湖町船津8
TEL 非公開
URL https://www.kainokaiun.jp/index.html
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