傾斜地の自然を活かした放牧酪農で、牛も人も幸せになる牛乳づくり。田野畑山地酪農牛乳/岩手県田野畑村

「山地酪農」とは、乳牛を一年中牧山(まきやま)に放牧し、ニホンシバなどの野草主体で育てる酪農スタイルのこと。植物生態学者の猶原恭爾(なおばらきょうじ)博士が提唱したこの酪農法に取り組んできたのが、田野畑山地酪農牛乳の会長・吉塚公雄さんだ。その牛乳は「季節の味が楽しめる」とファンに愛され続けている。

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牛にも人にも自然にも良い、持続可能な酪農法

日本の国土の約7割を占める山地。そこを開拓して牛の好物であるニホンシバを植え、乳量の多いホルスタイン種を放牧すれば、外国産の飼料に依存せずに、その生命力を活かした「牛乳」を安定的に生産することができる。これが、「草の神様」と呼ばれた植物生態学者・猶原恭爾博士が提唱した「山地酪農」だ。草食動物である牛は、草を求めて傾斜地の牧山を歩き回り、ニホンシバなどの野草を食べ、ミネラル豊富な沢の水を飲み、健康的に育つ。交配も出産も自然のまま。また、その糞尿は肥料となって、ニホンシバや他の在来の野草を永続的に育てる。そのため酪農家は、飼料代や肥料代をかけずに栄養価の高い牛乳の生産が可能に。たい肥化も含め糞尿処理代もかからない。さらにニホンシバは密生度が高いので、豪雨のときでも表土の流出を防ぎ、山を守るという。つまり山地酪農は、牛も人も幸せになり自然も豊かになる、持続可能な酪農法なのである。

山地酪農の素晴らしさを伝えたい

岩手県の北東部に位置し、総面積の80%以上を森林が占める田野畑村。吉塚公雄さんはここで50年近く前から山地酪農を実践している。起伏に富んだ18ヘクタールの吉塚農場では、18頭の搾乳牛と10頭の育成牛(子牛など搾乳できない牛)を一年中放牧。牛たちは春から秋にかけて農場の無農薬・無化学肥料の野草を食べ、青草のない冬は、自家採草地の、やはり無農薬・無化学肥料の乾牧草を与えられる。穀物飼料は一切食べない。

「野草は在来のもの、牧草は家畜用に改良されたもので、異なる草です。うちの農場の野草の5割はニホンシバで、残り5割が春のシロツメクサや夏のヤハズソウなど49種類。また牛たちは、暑い夏には水をたっぷり飲むし、冬はその逆。ですからうちの牛乳を買ってくださっているお客様は、『旨みが清らかで雑味がなく、季節ごとの味の違いが楽しめる』とおっしゃいます」と吉塚さんは胸を張る。

10年間の「ランプ生活」

吉塚さんは千葉県市川市のサラリーマンの家庭で育ったが、小学生の頃、毎年夏に宿泊していた農家でホルスタインの飼育の様子を見て酪農に憧れ、東京農業大学に進学。そこで猶原博士が提唱する「山地酪農」と出合い、感銘を受ける。そしてこれを実践し日本中に広めようと、卒業後、田野畑村ですでに山地酪農を実践していた大学の先輩・熊谷隆幸さんのもとで1年間実習。1977年に村内で10ヘクタールの山地を手に入れ、入植した。

ところがその地域は電気が通っておらず、最初の10年間はランプ生活。そんななかで、木を伐採し、ニホンシバを植え、牧柵と有刺鉄線で囲ってホルスタインを放牧して草地化を進める、という作業を、栄養失調になって奥さんの登志子さんを迎え入れるまで5年間続けた。電気が通ったのは1987年。吉塚さんは、この10年間が一番つらかった、と振り返る。

プライベートブランドの立ち上げを実現

経済的な苦しさも長く味わった。というのも、ニホンシバが大地に定着して安定するまで10年以上かかる。また山地酪農では、「放牧地1ヘクタールあたりの牛の頭数は成牛に換算して1.5頭まで」と決まっているので、頭数を増やして多くの牛乳を生産・販売するためには放牧地をつくり続けないといけない。つまりその間の収入はないのだ。さらに、少しずつホルスタインの頭数を増やし、ようやく乳量を確保しても、穀物飼料を与えていない吉塚さんの牛の生乳は農協が設定した乳脂肪分の基準値に合わず、出荷できないこともあった。たとえ出荷できても、それまでの借り入れなどで相殺されると手元に現金はほとんど残らなかった。

そこで、同じく農協に出荷していた熊谷さんと相談し、プライベートブランドを立ち上げて直販することを決意する。製造は村の産業開発公社に委託。吉塚さんと熊谷さんの牛は、穀物飼料を与えられた牛に比べて乳量が少ないため、一般的な牛乳よりも高い値付けになってしまったのだが、地元のテレビ局が農場の様子などを放送してくれたおかげで、1996年の発売直後からその価値を理解してくれるお客がついたという。その当時のお客が現在まで買い続けてくれているそうで、そこに口コミで新規のお客が加わるので、ファンは増える一方だ。

「山地酪農家を増やすこと」を親子で夢見て

プライベートブランドを立ち上げて以来、吉塚さんは農場主として、販売会社である田野畑山地酪農牛乳株式会社の社長として二束のわらじを履いてきたが、2022年、農場の代表を長男の公太郎さんに、会社の社長を四男の雄志さんに譲った。それぞれの専任者ができたことにより、農場の運営も会社の経営も改善されている。

牛乳の味を活かした乳製品づくり

しかも雄志さんは2017年から、自社の乳製品工房「milk port NAO」でヨーグルトと2種のチーズ、バターを作っている。ヨーグルトは乳酸菌だけを使って低温で長時間発酵させたもので、酸味が少なく、後味にほんのりコクが感じられる点が特徴だ。また、自社製生クリームも使ったチーズ「白仙」は、作りたてと熟成状態のそれぞれのおいしさを楽しめるもの。昨年「ARTISAN CHEESE AWARDS」のソフト部門で1位相当の「SUPER GOLD賞」を受賞するなど、国内外のさまざまな大会で評価されている。「牛乳よりも日持ちが良い乳製品は流通にのせやすいので、これらの売り上げを伸ばして会社の経営を少しでも安定させたい」と雄志さんは決意をにじませる。

50年間、あきらめずに続けてきた理由

このように役割は異なる3人だが、目指すところは同じだ。それは、日本中に山地酪農家を増やすことである。国土の狭い日本では、乳牛を牛舎につなぎとめて飼育し、防カビ剤などのリスクはあるものの国産よりも安い輸入飼料を与える酪農が一般的。限られた土地で効率的に作業ができ、乳脂肪分が高い生乳がとれるからだ。「でも、日本には放置されたままの山地がたくさんあります。そこで山地酪農をやれば、最初の開拓はつらくても、やがて牛も人も幸せになって千年続けて支障のない農家『千年家』になり、地域の経済が成り立つ。ちなみに日本のホルスタインの平均寿命は5〜6才ですが、うちでは今までも最高齢が16才、熊谷さんの牧場では18才なんですよ。そしてなんといっても山地が美しい緑の放牧地に生まれ変わる。山地酪農は、日本の自然の究極の活用法。これを日本中に広めたいから、これまで開拓がつらくても経済的に苦しくてもあきらめずに続けてきたんです」と吉塚さん。そして、この夢をかなえるために、農場を30ヘクタールまで拡大して牛の頭数を増やし、経済的に安定した「モデル農家」になりたいと話す。公太郎さんも同様に農場の規模拡大を目標にしているが、それは「息子に『跡を継ぎたい』と思ってもらえるように」という後継者育成のためでもある。一方の雄志さんは、研修生の受け入れに意欲を燃やす。円安による飼料代や燃料代の高騰、子牛の販売価格の下落などにより、経営に苦しむ酪農家が増えているいま、3人の夢は、日本の酪農の夢でもあるかもしれない。

ACCESS

田野畑山地酪農牛乳株式会社
岩手県下閉伊郡田野畑村蝦夷森161-3
TEL 0194-34-2725
URL https://yamachi.jp/
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