沖縄の焼き物である「やちむん」の窯元で修行した粕谷修朗(かすやのぶあき)さんは、東京に戻ってから粉引(こひき)の器を作り始め、移り住んだ房総半島では窖窯(あながま)と呼ばれる伝統的な薪窯で独創的な表情の器を生み出し続ける。作風の幅が広がりながらも、芯となる部分には「自然」と「暮らし」が必ずある。
沖縄から東京、そして房総半島へ
房総半島の南部。太平洋に面した鴨川市は海産物や海のレジャーで知られるが、峰々に囲まれた内陸部には、日本の棚田百選に選定された「大山千枚田」に代表される里山が広がっている。そんな里山の奥地、人家もまばらな山の緑に包まれた地で作陶しているのが粕谷さんである。
粕谷さんは2019年、東京都日野市から鴨川市に移住。陶土のベースとなる粘土に白い泥をかける白化粧を施し、釉薬(ゆうやく)をかけて焼き上げる「粉引」と呼ばれる手法で作られた端正な佇まいの器を生み出すのと同時に、伝統的な薪窯である窖窯による、表情の変化に富んだ器を作り続けている。その土地の風土、そして暮らしに根付いたものづくりを行う粕谷さんのルーツ。それは沖縄にある。
沖縄やちむんの巨匠、山田真萬氏のもとへ
東京藝術大学大学院で日本画科を修了した粕谷さん。結婚直後に、妻の奈津子さんとともに世界を巡る旅に出る。その出発点だった沖縄が、二人にとって最初の拠点となった。
日本画のみならず「立体的なもの、焼き物にも興味があった」と、世界旅行を終えた粕谷さんは沖縄の焼き物「やちむん」の窯元である、読谷村(よみたんそん)の共同窯「読谷山窯」に足を運ぶ。そこでたまたま『男子募集、山田』と書かれた貼り紙を目にする。実はこの『山田』とは、沖縄を代表するやちむんの作り手、山田真萬(やまだしんまん)氏のこと。粕谷さんはすぐに真萬氏のもとを訪ね、ここで6年間修行を積み重ねた。
暮らしが変われば器も変わる
東京に戻ってからは、自身の好みでもあった粉引の器を中心に作陶を始める。粕谷さんの粉引の器は、静謐(せいひつ)さのなかに土のあたたかな風合いが醸し出されているのが魅力のひとつだが、伝統的な沖縄のやちむんのどっしりとした質実剛健さ、描かれた模様が特徴的な染付(そめつけ)や三彩(さんさい)とはだいぶ印象が異なる。「住むところによって作る器は変わってくると思うんです。沖縄の食はゴーヤチャンプルーなど賑やかなものが多い。そういう料理が映える器が沖縄の染付だったり三彩だったりするのかなと思います」。
妻の奈津子さんは当時、「パンと器 yukkaya」という屋号でパン屋を営んでいたが(現在は通信販売限定)、そのパンに合う器を作ることは粕谷さんの日常の一部だった。暮らしに根付いた器を作ること。それは沖縄で学んだことでもあり、その姿勢は変わらない。鴨川に移り住んだ今も、粉引の器はガスも入れられるタイプの電気窯で作り続けている。「電気だけだと真っ白でつるんとした感じになって表情が乏しくなる」ため、窯内にガスを入れて酸素の供給を制限した「還元焼成」の状態へ持っていく。そうして独特の風合いを生み出している。
一方、沖縄時代に使っていたのは登り窯(のぼりがま)。粕谷さんのなかで薪窯への想いはずっと消えずにいたが、東京の住宅街で薪窯を構えるのは難しい。薪で窯を焚くことができる新たな場所を探し続け、たどり着いたのが房総半島の山の中だったのだ。
自然を見つめ探究し、自然に委ねる
工房脇にある窖窯は粕谷さん自ら組み上げたもの。窖窯は登り窯よりも歴史が古く、窯内部に器を置く焼成室(しょうせいしつ)がひとつなのが窖窯。焼成室を複数備えて効率的に数多くの器を焼くことができるように発達したのが登り窯である。窯焚きの時は三日三晩火を焚き続ける。
窖窯と薪が生み出す自然さ
粕谷さんが登り窯ではなく、窖窯を選んだのは「複雑な表情が出る器を作りたかった」から。窖窯では薪の灰が器に多くかかり、それが高温で時間をかけて溶けていき、独特の表情の器が焼き上がる。登り窯以上に偶然性に委ねる部分が大きい焼成環境が、予想を超えた風合いの器を生み出すのだ。
さらに粕谷さんにとって、窯にくべる薪が窖窯の魅力を引き立てているという。「一番多く使っている薪がマテバシイです。結構火力もあるんですよ」と説明する粕谷さん。マテバシイはかつて海苔養殖の支柱材や炭の材料として植林された、南房総ではごくありふれた常緑広葉樹。春にマテバシイの明るい黄緑色の新緑が山並みを彩る様子は房総半島独特の光景でもある。
そのマテバシイをメインに使いつつも、木の種類によって焼成後の器の色が変わってくるため、その時々で松や桜、タブノキなどを組み合わせて使う。ケヤキを多く入れると乳濁したような色が出てきて、これもまた面白いという。「どの組み合わせで混ぜたとしても、窖窯の中で自然に融合していく。色の綺麗さが不自然な感じじゃないんですよね。自分で想像していた以上の変化が出てくるのは薪の楽しさであり、窖窯の楽しさでもありますね」。
さらに土に関しても「綺麗すぎるよりも雑味があった方がいい」と、ざらりとした粗いテクスチャーの土を陶土として積極的に使ったり、原土を自ら砕き、調合することもある。
自然の色を探究し続けたい
粕谷さんは窖窯と電気窯の両方を使い分けながら、皿やマグカップといった日常使いできる器を中心に作る。その作品はギャラリーに卸すほかに、近年は千葉県で最大規模を誇るクラフトフェア「にわのわ アート&クラフトフェア チバ」にも出店するようになり、使い手や届け手との関係を深めている。
そんな粕谷さんが今、強く興味を抱いているのが色である。「日本画をやっていたので、もともと色にすごく興味があるんです。色といっても自然な色のこと。 日本画でいえば岩絵の具のような色なんですけど、窖窯でやるとそれに近いような自然な色合いが出るんです。その色は薪によって変わってくるので、もっといろいろな薪を使って焼いてみたいですね」。さらに釉薬の上に絵を描く上絵(うわえ)にも挑戦中だ。
沖縄時代、粕谷さんが親方である山田真萬氏から繰り返し諭されたこと。それは「自然をよく見て作ること」。房総半島の里山に抱かれたこの地で営む暮らしは、自然への感受性を高めてくれる。使い手の暮らしに思いを馳せ、風土に根ざした器を作る粕谷さん。そのとどまることのない探究心が、新たに自然や暮らしと響き合った時、また想像を超えた変化が器に宿るに違いない。