琉球王国のころ、沖縄では漆や陶磁器、金細工、染織物といったジャンルの美しい工芸品が生み出された。なかでも染織は沖縄各地に根づき地域の歴史と文化を映し出している。そのひとつ「首里の織物」に魅せられ技術を守り未来へとつなぐ、人間国宝・祝嶺恭子(しゅくみねきょうこ)さんの歩みとは。
琉球の染織文化を今に伝える祝嶺染織研究所
沖縄県那覇市に祝嶺恭子さんが代表を務める工房「祝嶺染織物研究所」はある。ここは、伝統工芸の復興と発展をめざし、沖縄のゆたかな織物文化をささえる場所だ。祝嶺さんはこの研究所を拠点に、首里の織物の伝統を守りつつ、新たな作品を生み出している。
首里の織物の魅力は時代を超えて愛される美しさ
沖縄は国から指定された伝統的工芸品16品目のうち染織品が13品目。全国でも有数な染織の産地といえる。とくに首里の織物は琉球王国時代から続く染め織りの技法で、多彩な色彩と複雑なデザインが特徴だ。和装をたしなむ人々にとってはあこがれの織物として知られている。
しかし第二次世界大戦の戦火により、首里の織物の技術はほとんど失われてしまった。祝嶺さんも首里の織物の技術の復元に取り組み、現代にその輝きを蘇らせている。
七つの技法が織り成す芸術
首里の織物には、「首里花倉織(しゅりはなくらおり)」「首里花織(しゅりはなおり)」「首里道屯織(しゅりろーとんおり)」「手縞」「首里絣(しゅりがすり)」「首里ミンサー」など、七つの主要な技法がある。
中でも「首里花倉織」は、花織と絽織(ろおり)を市松模様に交互に織り上げたもので、沖縄の織物の中でも最も格調高いとされる。この織物は、琉球王国時代に王や王妃が夏衣として着用していたとされる。
色彩とデザイン性が生む魅力
首里の織物の最大の魅力は、その豊かな色彩とデザイン性にある。祝嶺さんは「沖縄の人はデザインに長けているのよ」と語り、伝統的な技法を守りつつ、現代の感性を取り入れた作品を創り上げている。伝統と革新の融合が、首里の織物に新たな魅力を引き出しているのだ。
祝嶺恭子の歩み、織物との出会いと情熱の軌跡
那覇生まれの祝嶺さん。戦争未亡人だった母は女手一つで8人の子供を育ててくれた。「母の背中を見て、女性でも手仕事を身につけておく必要性があると思ったんです。そこで、デザインを学ぶために東京の女子美術大学へ進学しました。どちらかというと、現代の暮らしに合わせたデザインを学びたくて」。そして、人生の転機となる人物に出会うことになる。
染織の道へ。柳悦孝との出会いが紡ぐ新たな道
祝嶺さんの染織の道は、手仕事で作られる日用品のなかに美を追い求める民藝運動家として知られる柳宗悦(やなぎむねよし)の甥である柳悦孝(よしたか)との出会いから始まった。「東京でデザインを学びたいと思って女子美術大学に進学したんです。そこで、沖縄の染織りに造詣の深い柳先生から色々と教えていただいたんです。それまでは、沖縄の織物の素晴らしさをまだ知りませんでした。」と語る。柳悦孝の指導を受け生まれ故郷の首里の織物の魅力に目覚め、その世界に足を踏み入れることとなった。戦争で沖縄の染織物のほとんどが戦火により消失し、見本となる織物が圧倒的に不足していたなか、祝嶺さんは首里の織物の復元に情熱を注いでいった。
技術を学ぶ側から、教える側へ
大学を卒業後、仕事として織物に従事するか考えていた矢先に、地元の首里高校から染織の教員のオファーが届く。ひとまえで話すことに抵抗があった祝嶺さんは、学校で教鞭を取ることに抵抗があった。自分には向かないと思いつつも、戦後失われてしまった沖縄の織物の復元などやりたいことが山ほどあったこともあり「使命」として受け入れることに。
教鞭をとりながらも制作を続け、1977年に後に日本の伝統工芸に於いて最も権威ある展覧会となっていく「伝統的工芸品展」の第1回にて内閣総理大臣賞を受賞。このときに制作したのが手縞(てじま)とよばれる首里絣の古典的な技法を使った作品。
「この時いただいた内閣総理大臣賞がきっかけで、改めて古典に向き合おうという気持ちになったんです。」ここから伝統的な首里の織物へ、より深くのめり込んでいく。
<h2> 失われた沖縄の織物を求めて。ドイツへの旅路
戦争で失われた沖縄の織物を復元するために、祝嶺さんは見本となる織物を探す。しかし、どこへ行っても見当たらない。研究を進めるうちに、琉球王府時代の染織品がベルリンの博物館に所蔵されていることを知る。文部省在外研究員として1992年にドイツへ渡航。ドイツに点在する琉球王府時代の染織品を調査しながら収集し、織物の技術をまとめ沖縄に持ち帰り、帰国後、琉球王府時代の染織物の中から首里の織物を数点再現した。その後、さらに織物の研究を深めるため、2012年に再びドイツへ赴き、より詳細なデータや写真を収集、祝嶺さんは現地調査した内容をまとめ、技術を誰でも織れるようにまとめた報告書を執筆した。
未来への展望、祝嶺恭子が考える沖縄の染織文化
祝嶺さんは沖縄県立芸術大学教授を定年退官後、2003年に那覇市に祝嶺染織研究所を開設。沖縄の染織の研究、教育、講演活動と並行して、伝統的な染織技法に独創性を融合させた新しい作品を生み出し続けてきた。その功績が認められ、2004年に第24回伝統文化ポーラ賞を受賞、2023年に「首里の織物」の技術保持者として人間国宝に指定された。「これは宿命だと思います」と祝嶺さんは話す。
経糸と緯糸で表現する色彩豊かな織り色の世界に魅了され、過去から未来へと「首里の織物の魅力」のバトンを繋ぐために、現在もなお、祝嶺さんは、伝統と革新を織り交ぜた新たな作品を創り続けている。彼女の情熱が沖縄の染織文化に新たな息吹をもたらすことは間違いない。