朝のお勤めを見学する
總持寺は正式名称を諸嶽山總持寺といい、「諸獄観音像」がその前身とされる約700年の歴史を持つお寺だ。福井県の永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山として能登の地にあったのだが、明治期に火事により多くが焼失してしまった。そのときに、本山存立の意義と宗門の現代的使命の自覚にもとづいて、大決断をもって1911年に現在の横浜に移転することになった。
今回中田が伺ったのは、夜が明けたばかりの時刻。お寺では僧侶の方々の朝のお勤めが始まらんとしているときだった。中田も、お勤めを見学させていただく。広いお堂に正座をする。心がしんと静まる瞬間だ。そしてみなさんが集まり、お経をあげる。しんと静まったお堂がガラリと雰囲気を変えた。
坐禅を体験
朝のお勤めのあとに、坐禅を体験させていただいた。まず、作法や足の組み方を教わる。足の組み方は、右足を左足の太ももに乗せ、その右足の上に左足を乗せる。また、片方のみの足を組むときには、下になる足はできる限り身体に引き寄せて座ること。手は右手をしたにして両の親指で輪をつくるようにして、足のあたりに置く。そして後ろ頭で天を井につくように堂々と坐る。そうすると、耳と肩、鼻とへそが一直線になり、身体がまっすぐになる。そして、目線をおよそ一畳先に落とす。これが坐禅の基本的なかたち。
呼吸は、ひと呼吸ひと呼吸をゆっくり行う。この時、心がけることは一つだ。いろいろなことが心に浮かんできても、それは相手にしないこと。考えを追いかけない、ひきずらない。いいことでも悪いことでも、心に浮かぶままにして、深く呼吸を続ける。
大事なのは、身体をまっすぐに、深く呼吸をすることだそうだ。それに応じて心が整うのが坐禅。頭ではなく身体で心を調えるのが坐禅なのだ。
伝統仏教・曹洞宗からの発信
坐禅を指導してくれたのは参禅講師の三村法慧さん。「体は嘘をつかない」という。坐る姿「坐相」で迷いや悩みなどいろいろなものが見えてくるという。總持寺では定期的に坐禅会を催している。はじめての人もいれば、何年も通う人もいる。そこで多い質問が「坐禅をすればどうなるのか」というもの。「曹洞宗の伝統的な答えとしては”なんにもならない”。」と三村さんはいう。
「ただ、私はこの質問に、“自分が自分になる”と答えるのです。身体は全て自分の意志で動いているわけではないですね。坐禅を組み、身体をまっすぐにすることで、自分とは何か、というヒントを得る。そこから一歩踏み込んで、何があっても大丈夫な自分をつくる。それが坐禅だと。」
頭に浮かぶことにとらわれず、身体で心を調える。日々の生活の中ではなかなかこうした機会をつくることも少ないかもしれない。「現代において、仏教から出せるメッセージをこれからも伝えたいなと思っています」と三村さんは語ってくださった。