かごのある里山の風景を世界の人に見せたい。竹工芸収集家・斎藤正光さん/栃木県塩谷町

世界的にも有名な竹工芸品の収集家が栃木県の塩谷町にいる。古代から現代の美術品・民具・衣服・装飾品をヨーロッパ以外の世界から集めて所蔵するパリのケ・ブランリ美術館でコレクションの展覧会を開催。また、世界最大級の規模を誇るニューヨークのメトロポリタン美術館では竹かご展開催に協力するなどの功績が輝かしいコレクターだ。

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竹工芸収集家・斎藤正光さんとはどんな方なのだろうか

竹工芸収集家・斎藤正光さんは前述の美術館の他にも、日本の竹工芸品コレクターのパイオニアであるロイド・コッツェン氏の東京や大分をはじめとする国内6カ所でおこなわれた「竹の造形 ロイド・コッツェン・コレクション展」や国内外の美術館でおこなわれる展覧会のコーディネートをおこない、多数の出版物やNHKの「美の壺」の「竹かご」編などにも携わるなど多彩な経歴をもっている。

生まれ育った栃木県塩谷町

世界屈指の竹工芸コレクターである斎藤さんが生まれ育ったのは、栃木県塩谷町。周辺の日光、那須塩原、矢板にまたがる高原山(たかはらさん)のふもとに位置する塩谷町は湧水の里として知られる。高原山は「水源の森百選」に選ばれ、環境省によって名水百選の一つに選定されている「尚仁沢湧水(しょうじんざわゆうすい)」があり、日本有数の名水が湧き出ている土地だ。

塩谷の里山に訪れたケ・ブランリの館長

緑ゆたかで里山の原風景が残るこの地に佇む古民家が、斎藤さんの栃木の拠点である。その古民家の空間に、ぴったりと似合うコレクションの数々が用意されていた。美しい竹かごを前にしてうっとりと眺めていたら、驚くことを斎藤さんは口にした。「ケ・ブランリ美術館の館長もここにきて、かごを選んでいったんですよ」。ケ・ブランリ美術館の館長自らが、この塩谷町の古民家を訪れて、用意しておいたコレクションの中から展覧会に出す品を選んでいったのだという。まさか栃木の片田舎で、世界中が注目する展覧会のやり取りがおこなわれていたと誰が想像できようか。

江戸時代から注目されていた日本の竹工芸

かごは古くから生活道具としてあったが、斎藤さんが収集しているかごはそれらとは別の系統のもので、室町時代に中国から渡ってきたという「花籠(はなかご)」。中国から入ってきた花籠は唐物(からもの)と呼ばれ、江戸時代の終わりから明治時代にかけて煎茶の道具として広まったが、その人気に対して数が足りなくなったため、唐物の写しをつくる日本人がでてきたとされる。「唐物より繊細につくられた花籠に、作家が名前を入れるようになったのが日本の竹工芸の始まりなのです」と、斎藤さん。生活用品から作品へと昇華した日本製のかごは、江戸時代から海外に輸出されるようになっていった。シーボルトのコレクションの中にも日本の竹かごがたくさんあり、今でもオランダのライデン国立民族学博物館、日本製のかごが世界で評価されていることがうかがえる。

なぜ栃木県は竹工芸で有名なのか

じつは、栃木県は日本で竹工芸が盛んで有名な場所のひとつ。その理由として考えられるのは、明治23年栃木市に生まれ、戦前戦後に活躍した、飯塚琅玕斎(いいづかろうかんさい)という竹工芸の作家がいたからだ。琅玕斎の家は代々竹工をなりわいにし、近隣では知られたかご師一家だった。父は初代 飯塚鳳齋(いいづか ほうさい)、兄は二代目 飯塚鳳齋。その弟子筋の人たちが栃木にはたくさんいて、さらに広まり、栃木県が竹工芸で有名になっていったのではないかと思われる。

飯塚琅玕斎がつくるかごや竹工芸とは

飯塚琅玕斎のかごとはどのようなものなのか。琅玕斎は1925年にパリ万国博覧会で銅賞を受賞。さらに、1933年にシカゴ万国博覧会に出品している。大正天皇の即位式用品や昭和天皇の大礼献上品などの製作もした作家である。斎藤さんの研究によると、琅玕斎のかごは、日本的な解釈でかごをつくった上で外国の要素を取り入れるなど、他の作家とは少しアプローチが違うという。パリ万博で有名になった琅玕斎のかごは、一躍有名になり海外からも注目された。

無名のものを世に知らしめる仕事を竹工芸の世界に

日本の古い竹工芸品は文献のないものが多く、斎藤さんは収集をする一方で研究を重ねた。自ら工芸品をつくった方の遺族に会いにいきデータを収集、それらをまとめるなどして竹工芸品を美術品の域まで高めて展覧会に尽力。斎藤さんの活動があったからこそ、世界の名だたる美術館で展示される価値のあるものになったのではなかろうか。

竹工芸との出会いから収集にいたるまで

世界で活躍する斎藤さんが、そもそも竹工芸品の収集をはじめた理由は約40年前にさかのぼり、偶然出会った一人のかご作家がはじまりだったという。「彼に見せてもらったかごがとても綺麗で、現代美術品に見えたんです」。てっきり、現代美術品をつくっている人なのかと思いきや、その作家は現代美術を知らなかった。斎藤さんは「現代美術を知らなくても、こういった美しいものが作れるのか!」と衝撃を受け、興味を持ち、そこから今にいたるまでの長い収集の道が始まった。

モノを集めるより、モノを伝えたい

はじめてかごを見た時に感じた「工作としての素晴らしくて高い技術と造形美」は、現代美術品にも勝るという確信に変わり、現代美術の文脈にこのかごを持ち込んだらおもしろいと閃いた。そこからは、竹工芸作家の展覧会を現代美術の画廊でおこなうなどの活動を開始。すると、アメリカでも同じように竹かごをたくさん集めている人たちがいて、出会うきっかけにもなった。交流を深めると彼らに影響を受けるようになり、「展覧会をやるにはもっと集めないと」とさらに収集が進んでいき、気がつけば40年の月日が流れていたそう。「展覧会をやる為には数が必要なので集めましたが、集めるより伝えたい気持ちが強かったのかもしれません」。斎藤さんは20代の頃にレコード会社へ勤めた経験からプロモーションの知識があった。そのノウハウでテレビや雑誌で特集を組むなど、意図的にメディアを使ったプロモーションを行い、展覧会などを軒並み成功させていった。今ほど有名ではない時代から、竹工芸の魅力を広められた秘訣はこのあたりにあるのではないだろうか。もちろん苦労もあったと思うが「結局は楽しいからやってこれたんです」と笑顔で話す。

古民家を中心に里山を整備して、海外や国内から人をよびたい

しなやかで繊細な竹を工芸として扱うのは、世界を見ても日本だけだろうと話す斎藤さん。しかし、竹工芸品をコレクションするのは主に海外の方だという。それは、アメリカを中心に故ロイド・コッツェン氏のコレクションが竹工芸の素晴らしさを人々に伝えてくれたからだろう。コレクションは現在、サンフランシスコのアジア美術館に寄贈され、今も見ることができる。その影響もあり、現在はアメリカやヨーロッパ、中国をはじめとするアジアでコレクターが増えているという。それらをふまえて、竹工芸を美術品として価値を高めながら、マーケットがどこにあるかを見極めて多方面に挑戦してみたいと語る。

竹工芸とファッションや建築のコラボ

竹工芸はテキスタイルや建築とも通じるとし、ファッションや建築物などとのコラボなどを考案中。作家に提案したり、オーダーしたりして、竹の可能性を無限大に探る。それでいて、身近なものであってほしいとも願う。竹工芸は技術力を必要とし、難易度が高く数がつくれない上に高価だ。それを異なる素材の組み合わせやデザインでカバーし、竹工芸を新しく身近なものにしていく。コンセプトやデザインを際立たせることで、若い人にも手にしてもらいたいとアイデアを巡らせて、竹工芸の世界を広げるという豊かな発想だ。

竹かごが本来「あるべき所」にある姿

竹工芸を求めるコレクターはもちろん、興味を持っている外国人や日本人すべての人にかごの「あるべき姿」を見てもらいたいと斎藤さんは語る。本来「あるべき姿」とは、この塩谷町に残るような「里山の風景に自然と置かれる姿」。それは、昔懐かしい日本の風景。その想いを実現させるために、この古民家や敷地内を整備して人を呼べるようにしたいと考える。竹かごの世界を身近に感じてもらうための斎藤さんの夢は計り知れない。

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斎藤正光さん
栃木県塩谷町
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