伝統工芸なんてまるで知らなかった。
「まあ、みんな足を崩してくださいよ。取材する側、される側、どっちが偉いなんてのはないんだから」そんなふうにフランクに話しかけてくれた大西勲さん。髹漆(きゅうしつ)の分野で、重要無形文化財の認定を受けている人物だが、代々続く漆芸家の家に生まれたという経歴の持ち主ではない。 福岡の炭鉱町に生まれ、若い頃には日本全国をまわっていろいろな仕事をしてきたという。 「伝統工芸なんてまるで知らない。偶然ですよ。学校もろくに出てねえし、まあ職人なら飯も食えるだろうって、そんな感じでしたよ」 二十代も半ばを過ぎて神奈川県に住んでいたときに鎌倉彫を知り、工房に通ううちに出会ったのが漆という仕事だったのだ。
研ぎ澄まされたものが好きなんですよ。
大西さんの作品を拝見する。一枚の大皿なのだが、よく見ると何層も凸凹がある。「これはね、板を何枚も重ねて作ったんです。本当は漆ではやっちゃいけないことなんだよ」と笑うが、それは手間と時間がかかりすぎるから。 木曽ヒノキを細く薄い板に切り出して、輪のかたちに曲げる。この輪の1枚1枚を漆で塗り、研ぐ。それを最終的に何層にも重ねてひとつの大皿を作るのだ。 何度も「塗り」と「研ぎ」を重ねる漆では、想像を超える根気が必要になる。そのため、時間がかかるこの方法を「これはやっちゃいけない」と笑い飛ばすのだ。 「昔から、日本刀の刃のように鋭いもの、極めて研ぎ澄まされたものが好きなんですね。人生は一回きりなもんで、自分らしく生きるためには、つくりたいものを作っていたい。金儲けしたかったら、こんなことはできないです」
強い漆。
工房では、原料の漆をみせていただく。「ハチの巣があるでしょう。あの巣と木を接着しているのが漆ではないかとも言われています。漆は乾くと強く接着する特性があり、腐らない。」 桶に入った濃厚な漆は、茨城県内で採れたもの。「これは裏目漆(うらめうるし)です。漆の木から最後に採れる漆だけど、上塗りにも使えるくらい強くて良い漆。」強い漆は研ぐのに力がいるので仕事は増えるが、仕上がりは美しく、なにより何年も痛みが少ない。 大西さんが得意とする技法は塗立(ぬりたて)だという。塗立とは塗面を磨かずに仕上げる技法。これはどちらかというと瞬発力の勝負。大西さんは「いやね、一発勝負が好きなんですよ」という。
「やればできる」ということ。
「漆の難しさは?」と中田が質問をした際に、大西さんはこう答えた。
「難しいか…。よく聞かれるけど、でもね、これは難しいなんてことはないんですよ。漆の仕事なんていうのは、塗る作業と磨く作業、つまり足し算と引き算をする仕事。だから調節もできる。時間をかけてじっくりとやればできる仕事なんです。やればできる。だから難しいなんていうことはない」 確かに、難しいと諦めるのは簡単なのかもしれない。
そして、大西さんの独特の例えでこう話した。「マラソンでも、優勝すればいいと思う人と、記録を作ってやろうとする人がいる。なにか、やってやろうとする方が面白いよね」そう言って笑うのだった。
取材の間、大西さんから返って来る言葉は生き方や作品に対する考え方だ。この「やればできる」という言葉の上に手作業と時間が重なり、ひとつの作品になる。