伝統と個性の融合で新たな世界を切り開く陶芸家・山口真人さん/愛知県瀬戸市

伝統と個性の融合で新たな世界を切り開く陶芸家・山口真人さん/愛知県瀬戸市

愛知県瀬戸市の陶芸家・山口真人さんは、日本の伝統的な図案を作品に落とし込んだ独自の技法「琳派織部(りんぱおりべ)」で人気を集めている。琳派織部は、大胆かつ華美な「琳派」と鮮やかな「織部焼」をかけ合わせた新たな表現だ。


1000年の時を焼き物とともに過ごしてきた街・瀬戸市



愛知県の尾張北東部に位置する瀬戸市。日本六古窯のひとつである「瀬戸焼」は1000年以上の歴史を持つとされている。瀬戸で採れる土は、鉄分をほとんど含んでおらず、焼成しても赤くなることはない。白く美しい輝きを放つ素地に対しては、さまざまな釉薬を使った鮮やかな絵付け、焼き物自体への模様の掘り込み、そして転写による複雑な文様の再現も可能で、その表現方法は多岐にわたる。デザインの自由度に加え、耐光性や耐火性も高いことから、幅広い陶器が焼かれるように。そうして、瀬戸焼は日本全国に普及していった。

そんな焼き物の里・瀬戸市の穏やかな森の中に山口真人さんの工房はある。


山口さん独自の世界観を表現する「琳派織部」



この工房で作られているのは、鮮やかな緑色を放つ釉薬を使った「織部焼」。なかでも代表作である「琳派織部」は、金や銀を使った大胆かつ雄大で華美な作風で桃山時代後期ごろから栄華を極めた「琳派」と「織部焼」をかけ合わせた山口さんのオリジナル作品。もちろん、琳派織部という名称も山口さんが考案した造語だ。


もともと、絵を描くのが好きだったという山口さん。織部焼の中で自分の個性を表現するため、「誰もやらないことをしよう」「日本の歴史上の文様を取り入れたものを作ろう」と思い立ち、制作を重ねるうちに現在の作風にたどり着いたという。


建築家への道も考えたが… 作陶の道へ



山口さんの父も瀬戸市出身の陶芸家。だが、山口さんは陶芸家ではなく、建築家への道を歩もうとしていた。「安藤忠雄が好きで建築の学校に行ったんですが、そこで挫折して、自分に向いてるのはこの道ではないなと。卒業するタイミングで心を決めて陶芸をやることにしました」と山口さん。しかし、はじめに選んだ修行先は陶芸学校でも実家でもなく、同じ瀬戸市内の「霞仙陶苑」という窯元だった。霞仙陶苑で作陶の技術を学び、4年後に独立。実家ではない窯元を選んだのは父の教えがあったからだという。「まずは『他人の飯を食え』ということだったんでしょうね」。


父の教えはほかにも。「『ろくろは誰でもできるから、土と薬(釉薬)の勉強をしろ』と言われましたね」と話す山口さんのこだわりの礎が垣間見える。


山口さんの作品を決める土と灰



山口さんの作品は花器と茶器が多いそうだ。土は、岐阜県で盛んな美濃焼で使われる土と、瀬戸で採れた土を混ぜて使っていて、磁器の元になる石は使用していない。美濃の土はケイ酸を多く含んでおり、釉薬のツヤを増す効果があるという。一方で、瀬戸の土はマットな仕上がりが特徴だ。山口さんは美濃の土を7割ほど使ったものをベースに、作品に合わせて土の配合を調整している。


山口さんのこだわりは、釉薬の元になる灰にも。独特の色やざらつきを表現するため、灰選びは欠かせない要素だ。「もともとの樹木が生えている場所が10メートル離れているだけでも、成分が違うこともあるんです。灰はものすごく繊細。だから面白いんです」と山口さんは話す。


大胆さを生む「直感」



花器の制作風景を見せてもらった。山口さんの作品でよく見られる大胆なうねりは、ピアノ線でざっくりと土を落とすことで生まれていた。山口さんは「真っすぐだとつまらない。僕は考えすぎるとよくないので、直感です」と話しながら、土を削っていく。工房内には、他にも大きなヘラやカンナなど、作品を生み出すための道具がズラリ。


ある程度の形が決まったら、今度は土の粉を表面に振りかける。そうすることで、表面のざらついた質感をより表現できるという。


人間が触った痕跡を残さないかっこよさ



山口さんはさらに花瓶の高台部分の土をちぎり、大きな動きをつけると、その箇所をバーナーで直接炙る。バーナーで焼くと自然な割れかたになる、という山口さん。「ちぎった感じがなくなって、地面がひび割れたような自然さが出る。人間が触ったという感じが出ないほうが、かっこいいじゃないですか」と話す。


山口さんによると、花器などは口を作るのが難しいそうだ。道具を使うのではなく、どうしても手で作業することが多いからだ。「人が触った感じが一番出ちゃうんですよね」と苦笑いを浮かべる。


織部焼の親・古田織部と山口さんの共通点



織部焼といえば、戦国時代から江戸時代にかけて名を馳せた武将であり茶人だった古田織部が好んだことから名づけられたと伝わっている。織部焼の鮮やかな色遣いは、いわゆる“侘び寂び”とは対極のように見えるが、じつは織部焼の祖・古田織部は師匠である千利休から「人と違うことをしなさい」と教えられていたと言われ、派手なものや新しいものを好んでいたそうだ。


「誰もやらないことをしよう」と思い立ち、琳派織部を確立した山口さんと古田織部には似通ったところがあるのかもしれない。


「アートとしての工芸品」の価値を高めていく



現在は日本国内の百貨店やギャラリーで個展を開いている山口さん。織部焼だけではなく、鮮やかな青が目を引く「御深井焼(おふけいやき)」をアレンジしたシリーズも人気を博している。「自分が作ったものを評価されて、次のステージに上がっていくのがうれしいですね」と話す山口さんが、次に目指すステージは世界だという。山口さんは「大きな作品を作る技術を高めていきたい」と目を輝かせ、「アートとしての工芸品の道をなんとか切り開いていきたい」と力強く意気込んだ。


1000年の歴史を持つ瀬戸から生まれた、陶芸界の風雲児。山口さんが生み出す新たな世界観から、これからも目が離せない。


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山口真人
愛知県瀬戸市