愛知県岡崎市に蔵を構える丸石醸造。創業1690年と酒蔵として330年以上の歴史があり、「三河武士」をはじめ、「徳川家康」「長誉」など、江戸時代から続く銘柄を醸す酒造だが、2015年、新たな看板商品となる銘柄「二兎(にと)」を誕生させた。300年以上の歴史を持つ老舗の酒蔵が、新しい日本酒ブランドを立ち上げた理由とは。
徳川家康の生誕地・愛知県岡崎市での酒造り
愛知県のほぼ中央に位置する岡崎市は、徳川家康生誕の地として有名な岡崎城の城下町として栄えてきた都市だ。市内に流れる約20の河川は中央アルプスに端を発する矢作川の支流として、各地域に水資源を届けてきた。丸石醸造の酒造りにも、矢作川の伏流水が利用されている。
丸石醸造の創業は1690年。徳川綱吉五代将軍の治世下で、西で作られた日本酒が江戸へ運ばれるのを見た初代が酒蔵を建てたことが始まりだという。明治になると味噌やしょうゆの醸造、紡績、銀行など事業を拡大しながら、兵庫県の灘地方にも酒蔵を構えていった。当時は灘で造った日本酒を「長誉」、岡崎で造った日本酒を「三河武士」として販売していたという。
ところが太平洋戦争での岡崎空襲により、蔵のほとんどを焼失。事業を存続させるため岡崎に拠点を統合し、唯一残った味噌蔵を改修して日本酒造りに専念することになった。
東京で売れる日本酒を目指して、試行錯誤の5年間
現在、代表取締役を務める深田英揮さんはこの酒蔵の18代目。2005年に丸石醸造に入社し、全国各地の日本酒専門店へ営業に回っていた。
当時、同蔵で造っていたのは、「三河武士」をはじめ、3銘柄。「三河武士」は愛知県三河産の米100%で造り、愛知県内での消費が99%という地産地消の日本酒だ。丸石醸造が造る銘柄で最も歴史があり、岡崎の八丁味噌に合う甘みと酸味が際立つ味に仕上げている。大吟醸酒「徳川家康」は、全国新酒鑑評会で金賞を14回の受賞を誇る日本酒。「長誉」は古くから岡崎で日常酒として親しまれてきた銘柄。祭りなどでも多く振舞われてきた酒で、地元の飲食店では燗酒としても愛されてきた。
老舗の酒蔵として地元岡崎では広く知られていたとは言え、全国展開を視野に入れた際、日本各地の名だたる蔵を押しのけて取扱を拡大できるほどの認知度はなく、取扱店は思うように増えなかった。
その理由を酒販店にヒアリングしてみたが、コメントは散々。「徳川家康というお酒は、豊臣秀吉の町である大阪では受け入れられない」とか、「三河武士という名前だと、女性が買いにくい」といったそもそものネーミングに関することから、「甘さが立つ日本酒は、今の時代に受け入れられにくい」など、味に関することまで、厳しい声が相次いだという。
これを聞き、深田さんの焦りは募る一方。「このままでは蔵がつぶれてしまうのでは」という危機感を感じ、酒販店からもらった辛口なアドバイスを元に、人口とともに消費量も多い一都三県にターゲットを絞り、同エリアで好まれる新ブランドの開発を進めていった。
分かりやすいラベルと名前で認知アップを狙う
深田さんは新日本酒ブランドの立ち上げに向け、ひとまず営業的な視点からアイデアを出していった。
認知度を上げるためには、一度見ただけで覚えてもらえるようなネーミングや印象的なラベルデザインが必須。そこで「動物の名前ならインパクトがあるし、酔っていても記憶に残りやすいのでは」と、動物を新しい銘柄名の候補に挙げた。数ある候補の中で、深田さんがピンと来たのがうさぎ。
「うさぎが使われたことわざに『二兎を追うものは一兎を得ず』というものがあるが、発想を転換すれば、二兎を追う人にしか二兎を得ることはできない、つまり心から手に入れたいものは自ら追い求めなければ見つからないということではないだろうか。これぞ味も香りも秀でた欲張りな日本酒を造ろうとしている自分たちにぴったりだ」と考え、新銘柄に「二兎(にと)」という名を付け、ラベルには、二羽のうさぎをあしらった。
コンセプトは「甘みがあって、酸味もあって、後味まで良い酒」
深田さんが新ブランドのハード面を担当する一方で、ソフトというべき「味」を担当したのは、杜氏を務めていた片部州光さん。片部さんは開発がはじまって以来、複数の米農家から酒米を取り寄せ、それに5種類ほどの酵母を使い分けて試作を繰り返した。目指したのは、甘みがあって、酸味もあって、後味まで良い欲張りな酒。
ブランドを立ち上げた当時、日本酒業界は辛口ブームだったものの、岡崎で創業した酒造だからこそ、同地域発祥の八丁味噌を使った料理に合うよう古くから甘めに作られてきた岡崎らしい酒造りを諦めたくなかったという。
「甘くても酸味で締めれば、キリッとした後味になるんじゃないか」「さらっとした口当たりでありながらも水っぽくならないテクスチャーを実現するためにはどうしたら良いだろうか」などと、味や舌触り、喉越しに関する試行錯誤を重ねた。
それ以外にも、フレッシュさを保つために温度管理を一層厳しくしたことも従来の銘柄から改良した点のひとつだ。高温と空気という、熟成を促すファクターをいかに排除できるかを突き詰めて考えた結果、サーマルタンクを使い、0.1℃単位で温度を微調整し、低温で発酵させる醸造方法を採用。さらに常温になっても微炭酸の状態を維持してフレッシュさを損なわないよう、ガスが液中に溶け込んだ状態のまま搾ってボトリングを行うなど、同蔵がこれまで行ってこなかった新しい酒造りのスタイルに挑戦した。
個性的なひとくちではなく、食事が楽しくなる一本
かつて酒販店から指摘された自社製品のウィークポイントを受け入れ、女性も好感が持てるネーミングとデザインを心がけ、岡崎ならではの日本酒にこだわりつつも旧来のものとは一線を画す味に仕上がった二兎。
リリース後は、ラベルのデザインを気に入った消費者がSNSに投稿したり、女性へのプレゼントとしての需要が高まるなど、ターゲット層を中心にブランドの認知は順調に広まり、実際に口にした人からの評判も相まって消費量は右肩上がりに上がっていった。
こうして、二兎をきっかけに海外での展開も視野に入れていた深田さん。同銘柄をワインのように一度の食事につき一本開けられるような日本酒にしたいと考えていた。「食事をしていたら、いつの間にか一本空いた、というのが理想。温度やペアリングによって味が変化し、食事と合わせることで味が際立つような日本酒を造りたかった」と深田さん。ひとくちでわかる強烈な個性ではなく、食事の時間を楽しませてくれる酒。これこそが、生き残っていく要素と考えたという。
酵母は変えず、米を変えることでちがいを出す
現在、二兎のラインナップは10種類。酵母は変えず、酒米の種類と精米歩合を変えることで味のちがいを表現しているという。酵母を変えると香りが変わってしまい全くちがう酒にすら感じてしまうこともあるほど。そのため、酒米の種類を変えることで、香りを変えずに味に変化をつけた。使用している酒米は「雄町」「山田錦」「出羽燦々」「愛山」そして一般米の「萬歳」。
なかでも「萬歳」は岡崎市が大正天皇に献上していた酒米で、現在では丸石醸造でしか使っていない。ほかの酒蔵が使用しない酒米だとしても、二兎のブランディングとして三河ならではの要素は必要な要素だと考えていた。
400年、500年と続く酒蔵を目指して
二兎の誕生から5年。2020年に創業330年を迎えた丸石醸造だが、まだまだこの先400年、500年と続く酒蔵を目指している。「丸石醸造に入るまでは、ビールやワインばかり愛飲していて、日本酒そのものにあまり興味がなかった。だからこそ、日本酒業界の良いところも、遅れているところも俯瞰して見ることができたと思う」と深田さん。何事もそうだが、消費者がいるからこそ残っていくことができる。そのためには嗜好の変化や、流行、時代の移り変わりに逐一対応していかなければいけないと考えている。酒蔵目線ではなく消費者目線の酒造りを胸に、深田さんの挑戦は続く。