日本一の湖、琵琶湖。琵琶湖のある滋賀県には、水とともに暮らす人々によって受け継がれてきた独自の食文化がある。川でとれるヤマメやイワナを「川魚」と呼ぶように、滋賀県では琵琶湖で穫れる魚を「湖魚(こぎょ)」と呼ぶ。その代表格が、湖魚の中でも最大の漁獲量を誇る鮎。しかも、ここでしか穫れない特別な鮎なのだという。
滋賀県の宝、琵琶湖にだけ生息する特別な「小鮎」<
鮎は、日本で古くから愛されてきた淡水魚。さわやかな香りと繊細な味わい、内蔵のほろ苦さが日本人に好まれ、食通として有名な北大路魯山人も、鮎のおいしい食べ方を「はらわたを抜かず、塩焼きにして、火傷するほど熱いものに蓼酢(たです)を絞ってかぶりつくこと」と言い残している。とれたての鮎からはスイカやキュウリにも似た初夏の香りがすることから「香魚(こうぎょ)」、また澄んだ清流を好むことから「清流の女王」とも呼ばれる。
日本の鮎は川で生まれて海で育ち、また川に戻ってくるのが一般的だが、琵琶湖の鮎はちょっと違う。「小鮎(こあゆ)」と呼ばれる琵琶湖特有の鮎なのだが、川で生まれたあと琵琶湖に下り、そのまま琵琶湖で生活する。鮎は一般的に20センチ前後まで大きくなるが、小鮎の成魚は大きくても10センチ程度。稚鮎より少し大きくなったくらいで成長が止まるのが特徴だ。広い琵琶湖で育つのだから大きくなりそうなものだが、これには鮎のエサになる藻類が少ないという琵琶湖の環境が影響している。琵琶湖の小鮎は、世界で唯一ここだけに生息する特別な鮎なのだ。
旨みが強く、繊細な味わい
小鮎の旬は、5月から8月上旬ごろ。この時期になると地元のスーパーには琵琶湖産の小鮎が並び、琵琶湖の周辺では佃煮を炊く醤油の香りがたちのぼる。小鮎の炊き方は地域や家庭、加工業者によってもさまざまで、昔から続く滋賀県ならではの地域に根付く食文化として継承されてきた。
小鮎はうろこが細かくなめらかで、皮や骨が柔らかいため、丸ごと食べられるのが特徴だ。サイズは稚鮎とさほど変わらないが、成魚なので稚鮎より旨みは強く、それでいてクセがない。鮎ならではのほろにがさもあり、滋賀県の郷土料理である佃煮をはじめ、天ぷらやマリネ、南蛮漬けなど、滋賀の人々のソウルフードとして子供から大人まで広く親しまれている。
全国各地の鮎は琵琶湖がルーツ?
琵琶湖の小鮎は成長しても大きくならないことから、河川の鮎とは別ものと考えられていた。しかし大正2年に東京の多摩川に放流されたところ、河川では一般的な鮎と同様に大きく育つことが判明。それ以降、琵琶湖の鮎は河川への放流用や養殖用として全国に出荷されるようになった。現在、全国の川で見られる鮎の中には、琵琶湖にルーツを持つものも少なくないかもしれない。
滋賀県を拠点に活躍した近江商人を象徴する言葉に「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」というものがあるが、これは琵琶湖を離れて全国各地へ放流されたのち川で大きく成長する鮎と同じように、滋賀の人間も外へ出ることで成長する、という意味が込められているのだとか。
素材にこだわった湖魚料理を販売する「あゆの店きむら」
そんな琵琶湖の鮎を、多彩な食品に加工して販売する店が滋賀県彦根市にある。「あゆの店きむら」は、1970年に創業した鮎の専門店。創業前の1953年には全国に先駆けて鮎の養殖を始め、天然にも負けない良質な鮎の生産を追求し続けている。
自社で育てた養殖の鮎と琵琶湖でとれた天然の小鮎を中心に、「琵琶湖の宝石」と呼ばれるビワマスや滋賀県名物の鮒寿し(ふなずし)など、新鮮な素材を使った湖魚料理を生産、販売している。
鮎のおいしさを最大限に引き出す養殖方法
「こんな街中に大きな養殖場があったなんて知らなかった、と地元の方にもたまに驚かれます。養殖場には池が40面ぐらいあって、今は小さい鮎が全部で15トンほどいますが、これから大きく育てていって最終的には20から30トンぐらいになります」と、話すのは同社の4代目を務める木村昌弘さんだ。たしかに、店舗や住宅が建ち並ぶ市街地にある店の裏側にこんな大きな養殖場があるのは、なかなか異様な光景。ここならではの景観なのかもしれない。
鮎の養殖には地下300メートルから汲み上げたミネラル豊富な湧き水を使い、比較的低温水で5〜6ヵ月かけてじっくりと育てるという。また、鮎は環境の変化に敏感でストレスを感じやすいので、より自然に近い環境で育てるために水車を使って川の上流部のような速い水流を再現している。活発に泳がせることで、身の引き締まった上品で淡泊な味わいに育つそうだ。鮎が遊ぶ場所を作るために、池を八角形にするという工夫も施されている。「鮎は酸素が少ないとすぐに死んでしまうので、水を回して水中にたくさん酸素を含ませるなど、できる限り自然に近い環境で育てています」と木村さん。養殖から始まった老舗ならではの、徹底したこだわりが伺える。
琵琶湖の資源を大切に育てる
一般的に天然の鮎は川底に自生した藻類を食べているため香りが豊かな一方、養殖の鮎は脂質を多く含むといわれる。しかし、同社で養殖される鮎は非常に香りが高く、肉質がよく締まっているのが特長だ。「いい鮎を育てるにはエサと水が大事。うちでは脂臭さが少ない魚粉に、藻類やプロポリスを加えたオリジナルのエサを与えています。天然にも負けない香りのある鮎で、全国の飲食店をはじめたくさんのお客様からご好評をいただいています。東京の豊洲にも生きたまま出荷しているんですよ」と木村さん。
養殖には、必ず琵琶湖で水揚げされた天然の稚魚を使う。他府県には人工孵化させた鮎を養殖されている生産者もいるが、滋賀県では琵琶湖から生きたまま稚魚を入れてきて養殖するのが通例となっている。そのため、卵からの人工孵化はしないのだという。まさに素晴らしい資源を生かした、ここならではの仕事だ。
ちなみに、この恩恵は食味そのものにも影響している。琵琶湖産の鮎は、人工孵化させた鮎と比べてウロコが細かくなめらかで、骨や皮がやわらかく、食感がよいのだそうだ。天然の鮎を、より安全な環境で丁寧に育てる。積み重ねられた品質へのこだわりこそが、木村さんの鮎が多くの人に愛される理由だろう。
ここでしかとれない天然の恵みを味わう「小あゆ煮」
あゆの店きむらの「小あゆ煮」は、朝一番に琵琶湖から水揚げされた小鮎を、新鮮なまま小さな釜で少しずつ、熟練した職人が数時間つきっきりで煮上げた一品。少量ずつ丁寧に炊くので煮崩れせず、地元産の醤油と酒を使って甘辛くまろやかな味わいに仕上げられている。
小鮎の佃煮は、もともと滋賀県の伝統的な郷土料理。クセがなく、旨みの強い小鮎を骨まで柔らかく煮るので、ごはんのお供にはもちろん、おつまみとしても楽しめる。地元の常連客をはじめ、観光客のお土産としても人気の看板商品だ。
豊かな香りをまるごと楽しめる「あゆの塩焼き」
木村さんが「一番おいしい食べ方」とすすめるのが「あゆの塩焼き」だ。湖魚の中でもビワマスやコイは刺身が好まれるが、鮎に関しては塩焼きがもっともおいしいという人も多い。
あゆの店きむらでは、水槽から揚げた鮎を素早く氷で締め、踊り串を打って新鮮なまま焼き上げる。口を下にしてじっくりと焼くことで余分な脂が鮎の体内に残ることなく、芯まで香ばしく仕上がるそうだ。鮎そのものの香りや味わいをまるごと楽しめるほか、皮はパリッとして香ばしく、身は淡白でふっくらとやわらかい。ら川魚が苦手な人にもおすすめの一品だ。
琵琶湖でとれる鮎の魅力を伝えたい
近年は、特に小鮎の人気が高まっているという。「かつては養殖池で大きく育てた鮎を氷詰めにして市場に送るのが当たり前でしたが、最近は小さい鮎の方が好まれるようになってきました。大きい鮎に比べると肝の苦味が弱く、柔らかいので骨までまるごと食べられる上に鮎らしい味はしっかり楽しめる。そんな小鮎の特徴が天ぷらや唐揚げに合っていて、気軽に味わえる夏の風物詩として首都圏の飲食店などから引き合いが増えています」と木村さん。
一般的な鮎は大きく成長して旬を迎えるが、琵琶湖の小鮎には旬のおいしさを小さいまま味わえるという特別な価値がある。「昔ながらの食文化を守りつつ、新しい食べ方や調理法も提案し続けたい」。木村さんのそんな思いが、琵琶湖の鮎に新たな可能性を開き、より遠くへと泳いでいく力を与えるだろう。