富山県富山市在住のガラス造形作家・小島有香子さん。独創的な作風で国内外から注目を集める彼女だが、それらは「富山だからこそ生まれた」と語る。富山の風土を愛し、ものづくりをする彼女だが、石川県で生まれ5歳までは愛知県で過ごしその後千葉県へ。県外育ちの彼女が富山で活動するに至るまでには、様々な出合いがあったという。
“ものづくりって楽しい”が、作家としての出発点
自身の作品を前に「作品を見たお客さんから『どうやってできているんですか?』と聞かれることも多いんです」と笑う小島さん。確かに不思議な作品だ。その美しさに見惚れた後には、触れて、光にかざしてみたくなる。表面はつるつるしているのか? それとも凹凸があるのか? あっちの方向から見てみたらどう見えるのだろう?
見れば見るほど、その魅力に引き込まれるガラスのアート。これは積層ガラスで作られた作品たちだ。積層ガラスというのは、窓ガラスなどに使われている建築用の板ガラスを重ねて、その断面を見せる手法のことで、素材の重ね方やカット方法を工夫することで模様を出したり、ガラスならではの質感を表現することができる。マンションやホテルを装飾するオブジェなどで使われている技術だ。
この手法を用いて製作を行っているのが小島有香子さん。石川県に生まれ、美術系の大学出身の母の元で育った。母は作家にはならなかったものの趣味でものづくりを続けており、昔から何かを作ることが身近にある環境だったという。また、通った高校が珍しく、選択科目では「美術」「音楽」「書道」のほかに「工芸」という授業が選べたそうで、一般的な高校生に比べたら、ろくろなどに親しむ機会もあった。
その授業がきっかけで工芸のおもしろさに目覚め、工芸系の学部がある美術大学に進もうと決めた。しかし、その時点では、まさか自分がガラス工芸の道に進むなどとはみじんも思っていなかったという。ガラスの道に進むきっかけは大学受験での何気ない選択だったというから、偶然というのはとても大きな可能性を秘めているのだと感じる。
多摩美術大学でのガラスとの出会い
多摩美術大学を受験する際、小島さんはどの学科に出願するかという迷いにぶつかった。ものづくり全般に興味がありいろいろな素材を学んでから決めたいと考えていて、明確な進路が見えていたわけでは無かったからだ。現在は変わっているが、当時、多摩美術大学で工芸を学ぼうとするなら、立体デザイン専攻のクラフトデザイン科に進む必要があった。陶芸を選択したい場合は油絵科に進む必要があり、工芸よりもアート色が強いなど、小島さんの期待するものとは少し違っていたのだとか。そこでクラフトデザイン科を受験することにしたのだが、金属とガラスが選べるようになっており、「どちらがいいかな」と迷った結果、“強いて言うなら”程度の気持ちで、ガラスの方が楽しそうだと、願書にあった「ガラス」の文字に丸をつけたのだという。それがガラスとの出会い。
強い意志をもって選んだわけではなかったガラスの道。大学生活の前半は、あまりピンとこずフラフラしていたそうだが、3年生も後半になると、ようやく楽しさが感じられるようになってきたのだという。
そしていよいよ迎えた4年生。小島さんは、作品制作を続けたいという一心で、母の出身地である金沢のガラス工房「金沢卯辰山工芸工房」の研修生の募集に応募した。自身の生まれた地でもあり、夢にまでみた制作現場だったのだが、結果は残念ながら不採用。「周囲にも不採用だったことが驚かれるくらい、その工房で制作を続けることしか考えていなかった」という小島さんは、至らなかった結果に呆然自失。気持ちを整理しつつ、お金を貯めながら次にやることを考えようと、フリーターの道を選択した。その間はガラスから離れてひたすら働いたが、やっぱりガラスに携わりたいという気持ちは消えなかった。
その気持ちを満たすため、都内の吹きガラスの講座に通い始めたのだが、それが転機となる。講座を受けに行っていた工房のオーナーが、富山県にある「富山ガラス造形研究所」の出身で、これからもガラスに携わりたいなら、と入学を勧められたのだ。
「ガラスのまち・とやま」の環境に支えられ自然と作家の道へ
かくして富山ガラス造形研究所に入学した小島さんは、水を得た魚のように授業に夢中になり、ガラスに関するありとあらゆることを学んだ。しかし、問題は卒業後だ。普通の人ならば、どうやってガラスで食っていくのか。と、身構えてしまいそうだが、当時を振り返る小島さんの語り口に苦労の影はみられない。
「富山でならガラスを続けられる。アルバイトをしながらでも、ガラスを続けたいと思っていました。」
そう軽やかに口にできるのも、「ガラスのまち・とやま」のバックアップがあってこそ。例えば富山市内にある富山ガラス工房には、観光客向けにガラス文化を伝えるための体験施設があるだけでなく、作家に作品の展示の場を提供したり、オンラインストアでの作品の販売を請け負うなど、アーティストとして生計を立てるためのバックアップ体制が整っている。アトリエや工具も安く借りられるのだ。創作のために必要なものはほぼ揃っていると言っても過言ではない環境。ここでなら作家として活動していける、と小島さんが思ったのにも頷ける。結果的に研究所に通う2年だけと思って引っ越してきた富山市に、かれこれ20年以上暮らしている。ついには、富山市内に自身の工房も構えた。
貼り合わせて削って研磨してを繰り返し生まれる作品たち
「ここまで作家として活動して来られたのは競争相手が少なかったことも大きいと思います」と小島さんは語る。確かにガラス工芸と聞けば、吹きガラスを想像する人が多いだろう。しかし冒頭でも述べた通り、小島さんの作品は積層ガラス。その独特な作品はどのようにしてつくられているのだろうか。
使うのは、建材として使われる板ガラス。工業用のため色と厚さが数種類しかない中から選び、組み合わせて使うのだそう。専用の接着剤を使って貼り合わせていく。気泡やゴミが入ってしまうと美しさが損なわれるため、慎重に。とはいえ、素材がガラスなだけに重たい。画用紙を重ねることとは訳が違うのだ。作品の内側に層ができ、芸術的な模様となる。貼り付け終わると作品の重さは数十キロにも及ぶわけだが、これをグラインダーで削っていく。建材として使われる素材のため丈夫で堅く、削るのにも時間がかかる重労働。大まかに形を削り出した後は、研磨の作業に入る。鉄の円盤に砂と水を少し垂らし、ガラス自体にも水をまとわせ、磨いていく。水がガラスを保護する役割を果たし、砂が研磨剤となるのだそう。ミリ単位でサイズを測りながら最終的な形を整え、表面を磨いていく。大きなオブジェから、ピアスやペンダントトップなどのアクセサリーまで、作品の大小に関わらず全てこの工程を経て完成する。完成した作品の重さは貼り合わせた後の時点から3分の1から4分の1程度になるそう。それだけ削ったというわけだ。考えただけでも気が遠くなりそうな作業だが、小島さんは「おかげで腕や指が太くなったんですよ」と、あっけらかんと笑う。
数々の賞を受賞するまでに至ったのは、「楽しい」という気持ちに正直だったから
上記の通り、積層ガラスでの作品づくりは時間も手間もかかる。吹きガラスに比べ、自由に色や形を決めることもできない。だが、吹きガラスのように短時間で流動的に仕上げていく作業には楽しみを見いだせなかった小島さんにとっては、少しずつ少しずつ形を削り出す作業の方が、わが子を育てているようで楽しいし、完成した時の達成感もひとしおなのだとか。
大学でも富山の研究所でも、吹きガラス・積層ガラスの両方をひと通り教わった。だが、吹きガラスよりも、何センチ、角度が何度と細かく測りながら自分の手で削り出してオブジェを作っていく作業が性に合っていると感じ、今の道を選んだ小島さん。競争相手が少なかったのはたまたまなんですよ、と謙虚に語るが、自分の「やりたい」を純粋に追いかけてきたからこそ、富山との縁ができて自分の個性に磨きがかかり、様々な美術賞を獲得するまでに至ったのだろう。
富山ガラス造形研究所を卒業した翌年『国際ガラス展・金沢2007』にて第10回展記念特別賞を受賞したことをきっかけに、日本のガラスアート界のホープとして注目を集め、その後も『第54回 日本伝統工芸展』で高松宮記念賞、さらに『第4回 現代ガラス大賞展・富山2011』では大賞を受賞するなど、その卓越した技術と独自性あふれる作品は国内外で高く評価されている。
富山からガラスの魅力を世界へ発信する
小島さんのように、グラスや器など、コモディティな製品ではなく、非日常的な“作品”で勝負することは、端から見ればチャレンジと捉えられるかもしれない。しかし、富山にはこれをアートとして認め、評価してくれる土壌が出来上がっていた。例えば、富山市がバックアップして設立された「富山ガラス造形研究所」には、世界中から才能が集まり、日々ガラスづくりに切磋琢磨している。また富山市内には、1989年に開廊し、伝統と今とを見つめながら後世に残る価値のある作家を数多く発掘してきた「ギャラリーNOW」をはじめ、アートを面白がってくれる人たちも大勢いる。そんな富山に根を下ろし、富山のガラス文化の魅力を発信する一端を担うことこそ、自身をガラス作家へ昇華させてくれたこの地への恩返しだと小島さんは考える。
最近では、ホテルやマンションのエントランスの装飾や、店頭に飾るオブジェとして求められることが多いという小島さんの作品。神秘的な光を放つ唯一無二の存在感は見る人をたちまち魅了する。これらの作品について、小島さんは「富山だからこそ生まれた作品だと思います」と話す。
身の回りにあふれる富山の自然からインスピレーションを受けているという小島さんの作品からは、たしかに自然の光が生み出す柔らかい質感や温かみを感じられる。「とにかく見た人がハッとするようなかっこいいものをつくりたい。富山ガラス造形研究所でチェコ人の先生にお世話になったので、チェコでも展示ができたらいい」と話すその視線は、いよいよ世界を見据えている。