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常滑焼の歴史
常滑焼の歴史は古く、平安時代末期にまでさかのぼることができる。常滑では、それまでの灰釉陶器では作れなかった大型のかめやつぼが早くから焼かれており、それが繁栄の下地を作った。
その常滑焼の歴史に、小細工物といわれる分野が現れたのが江戸時代後期のこと。常滑焼というと急須をすぐ思い浮かべる人もいるかもしれないが、急須が焼かれ始めたのもこのころだ。独特の赤みを持った朱泥急須の登場は、さらに明治に入ってからのことである。
一代一代受け継がれる。
そんな常滑急須の創世期に、ひとりの名工が現れた。名前を山田常山(じょうざん)といい、緻密な成形、端正な色彩はほかに類を見ないほどのものだったという。 今回お話を伺った山田常山(じょうざん)さんは、2006年に名前を継いだその4代目。3代目の父は、人間国宝にして山田常山の名前を不朽のものにした人物だ。初代、2代目が作り上げた端正な作風に、現代的感覚を盛り込み、さらに急須以前の常滑焼の伝統をも加え、静謐さのなかに力強さを感じさせる急須を作り出したのだ。常滑焼(急須)の分野で人間国宝に認定されたのは、1998年である。 4代目・山田常山(じょうざん)さんは、人間国宝である父に学び、初代から続く急須の伝統を受け継いで、日々作陶に精進している。現在、常山窯では息子の山田想(そう)さんも陶器を焼いている。そうして伝統は親から子へと手渡されていく。
日課は土作り。オールドスタイルの常滑焼を追求する陶芸家・伊藤雅風さん – NIHONMONO
日本六古窯のひとつ・愛知県常滑市は、平安時代後期から焼き物産地として栄えた。焼くと赤褐色となる朱泥が特徴で、代表的な伝統工芸品が急須だ。そんな常滑市で生まれ育ち…