北海道 倶知安の深い雪が生み出す特別な甘さー本間松藏商店のじゃがいも「五四〇」/北海道倶知安町

冬には上質なパウダースノーを求めて多くの観光客が訪れる「ニセコ」エリアを有する北海道倶知安町(くっちゃんちょう)。夏には羊蹄山(ようていざん)の地中に潜り込んで流れる伏流水のもと、一面に咲くじゃがいもの花畑は圧巻の美しさを見せる。このじゃがいもの町で本間松藏商店が手がけるプレミアムなじゃがいも「五四〇(ごーよんまる)」が評判を呼んでいる。生産者と共に歩む4代目の本間浩規(ほんまひろみ)さんに話を伺った。

目次

北海道のほくほくのじゃがいもが育つ倶知安の気候

円錐形の美しい姿から「蝦夷富士」の別名を持つ成層火山・羊蹄山と、小樽海岸国定公園内にある火山・ニセコアンヌプリで知られる「ニセコ連山」に囲まれた北海道虻田郡倶知安町(あぶたぐんくっちゃんちょう)。一日の寒暖差が大きい内陸性の気候を持った倶知安は北海道屈指の豪雪地帯でもある。穏やかな晴天が多い春から夏に対し、冬は北西からの乾燥した日本海で水蒸気をたっぷり取り入れ、雪雲を形成する。

⽇本海側で出来た雪雲がニセコの連峰を越えて⽺蹄⼭にぶつかり、パウダースノーとなって倶知安に舞い降りてくる。たっぷりのミネラルを含む天からの恵みは、どんどん降り積もり、年間にすると累計の積雪量は8〜9メートルにも及ぶ。雪は羊蹄山麓から流れる清流となり、大地を潤すだけでなく、断熱材代わりにもなる。降り積もった雪のおかげで⼟は凍らずに残り、春には雪のミネラルが⼟壌の中に染み込み、さらに大地は肥えていく。まさに倶知安には、根菜やじゃがいもづくりに適した環境が揃っているのだ。

生食用がメインの倶知安のじゃがいも

「じゃがいもには生食用と加工用があって、倶知安で作っているのは生食用がほとんどになります。皆さんがよく聞く男爵とか、メークインとか、全部スーパーに並ぶような品種が中心で、その産地としては全国屈指といえるんじゃないかな。」と話すのは、本間浩規さん。町で100年以上続く野菜仲卸メーカー「本間松藏商店」の4代目だ。「作付け面積も約1,200ヘクタール(東京ドーム約256個分)と道内随一です。ここに至るまでに、私たちの祖先はさまざまな試行錯誤を続けてきました。大変な苦労があったとも聞いています。」と続ける。

地域と共に歩んできた本間松藏商店

倶知安でじゃがいも栽培がはじまったのは、1892(明治25)年の開拓時代のこと。開拓の祖のひとりであった真鍋浜三郎氏が栽培、さらに後の柳原虎藏氏がより形のいいじゃがいもに絞って選別。後世に品質のいいじゃがいもの種いもを残すべく、研究を重ねたという。本間松藏商店の初代、本間松藏氏が新潟から倶知安に移ったのは、「味のいいじゃがいも」の評判が高まり、本州への出荷がはじまった大正初めの頃だったと記録されている。以来、農地を持つのではなく、地元の⽣産者が育てた作物を倉庫施設に買受けし、かつては政府主導のもと、決められた場所に出荷する「産地問屋」として地域農業に関わってきた。現在は、収穫した作物を「倶知安産」という形で販売している。

「自らの食糧確保が先決だった北海道開墾当時は特に、寒冷気候で米が育たず、寒くても良く育つじゃがいもが重要な作物となりました。そのため、自らの食糧として生食用じゃがいもを栽培して食べてきた背景が、倶知安で生食用が多く作られる理由の1つ」だと語る。

また札幌から函館まで⽇本海側を回る函館本線に貨物の駅があり、函館から貨物列⾞ごと船に乗せて⻘森に運ばれる航路があったことから、流通の要として重量物は⽺蹄⼭麓の倶知安に集まってきていた。

「そのため倶知安は、自然と東京をはじめ日本全国の家庭にじゃがいもを届ける、日本の台所としての役割を担うことになった部分も大きい」と本間さんは話す。日本のじゃがいもの8割近くが北海道で生産され、倶知安も主要な産地として名を馳せることになる。

日本のじゃがいも生産を担う一大産地。倶知安をはじめ、北海道は日本の食料基地の役割を担うべく、⼤きな機械を使ってたくさんの農産物を効率よく作ることを求められ、産地として応えてきた。

「しかし、一大産地としていわゆる欧米のような大規模農業が推奨されてきた歴史的な背景に対して、量をたくさん作ればいいという時代は終わりつつあると考えています。この産地でしか味わえない、質の高いじゃがいもを皆さんに届けることが新しい時代の生産者に必要なのだと」。

そして、農家や、地域の発展のためにも野菜仲卸メーカーとしてできるのが商品価値の向上、ブランド化であった。

倶知安じゃがを雪室貯蔵で長期熟成させた「五四〇」の誕生

本間松藏商店が扱うじゃがいもは、品種にかかわらず肥料や農薬を一定量に制限した「特別栽培農産物」として第三者機関によって認証された赤いブランドマークが目印の「倶知安じゃが」だ。

じゃがいも特有の香りとほくほくした味わいの「男爵」、大きめで身が黄色い「とうや」。さわやかで淡泊な「さやか」、きめ細かいテイストで甘みが強い「きたかむい」。くりじゃがいもの別名を持つほくほくした「きたあかり」。この5品種を「倶知安ブランド」として販売している。

さらに6年前からは、倶知安じゃがを雪室貯蔵で長期間熟成させたプレミアムなじゃがいも「五四〇」の販売もスタートした。収穫したじゃがいもを、540日間(約1年半)雪を利用して冷却し、温度や湿度を一定に保ちながら貯蔵庫に寝かせる。長時間の熟成を経ることでじゃがいものデンプンの一部が分解され、糖化が進んでいくんです、と本間さんは続ける。

「温度や湿度を一定にして管理したじゃがいもは、2年を超え、3年届かないぐらいで無機質になっていこうとします。じゃがいも自体はデンプンを糖に変えたら、その後は酸味を含んで酸っぱくなるのですが、徹底した温度管理により糖に変えた状態、甘みのある状態で保存されるんです。発芽せず、腐ったりもしません」

日本の消費の現実に立ち向かう

「『五四〇』の誕生は本当に偶然が重なったんです」と本間さん。 倶知安生まれ、倶知安育ちの本間さんだが、実は14年前までは東京の市場で働いていた。 「家族を含め、生産者に近い視点を持っていた私が、育ててきた作物がどう消費されるのかを知るきっかけを東京の市場で得ました。ある意味消費の現実の姿というか」

北海道産のじゃがいも需要は、収穫期の8、9月から翌5⽉のGW前後にかけては引く手あまたとなる。ところが5月を過ぎると、北海道産のじゃがいもは「お役御免」になるという。鉄砲と共に日本に伝来したじゃがいもの発祥地・長崎産のじゃがいもが「旬」として市場に入ってくるためだ。

長崎をはじめ、千葉など旬を迎えた他の産地のジャガイモが次々と市場に入ってきては、引っ張りだことなる。本間さんは南北に長い日本では、旬を迎える時期が場所によって違ってくるのは仕方のないことだとも理解している。だが、美味しい、美味しくないにかかわらず、その時々の旬のものが優先され市場に出回ることに、常々疑問を持っていた。

「旬の野菜が美味しいのはわかります。ただ特に根菜は、寝かせることで味わえる別の旨みもある。それが理解されないことにジレンマを感じていました」と話す。

帰郷した本間さんは、当時の社長である⽗親の英夫さんに夏の間もじゃがいもを売りたいと頼む。もともと雪を使ってじゃがいもを貯蔵するという技術はあったものの、雪は溶けてしまう。そこで貯蔵に適した冷蔵庫を作ってもらい、必要な分だけ貯蔵していた。新じゃがは皮が薄く、水分を多く含みとても柔らかい。その特性ゆえ、扱いにくいと感じるシェフも少なくない。新じゃがの特徴を好まないシェフ向けに試験的に販売するなどはしていたものの、商品化については意識していなかったそうだ。

シェフのじゃがいもレシピに欠かせないアイテムへ

ある時、札幌の老舗和食店「浪花亭」さんに倉庫で貯蔵していたじゃがいもを持参したところ、「何だこれ、こんなじゃがいも食べたことがない」と驚かれた。食べてみると、約2年間ほど倉庫に眠っていたじゃがいもは、まるでさつまいものように甘く、明らかに従来のものとは違う味がした。

たまたま冷蔵庫の⽚隅に貯蔵されていたじゃがいもを、気軽な気持ちで持って行ったに過ぎなかった本間さん。保存期間などを意識せずできあがった偶然の「甘み」に魅了された「浪花亭」のシェフからの薦めもあり、販売を決めた。「五四〇」のネーミングは収穫から540日以上の熟成期間を経ることから来ている。

丁寧な熟成のもと他とはひと味もふた味も違う甘みをまとった「五四〇」。地元ニセコのホテル「シャレーアイビー ヒラフ」や「パーク ハイアット ニセコ HANAZONO」などで提供したのを皮切りに、東京など関東圏、南は沖縄まで多くの飲食店からの問い合わせが続いた。ただ基本的には、きめ細やかな温度管理が必要なため、紹介制の取り扱いのみで、倶知安にご縁があるお客様以外は一般販売も行っていない。

魅力ある加工品から倶知安産のファンを増やしていく

倶知安にじゃがいも作りを広めた明治の開拓期の先人たち。加えてその後ニセコエリアがリゾートとして発展してきたことも、倶知安のじゃがいもを特徴づける大きな要因だと本間さんは考えている。

リゾートを楽しむためにニセコを訪れた皆さんが、わざわざ本間さんの元を訪れてくれ『美味しかった』『ありがとう』と⾔ってくれる⼈たちがいる。リゾートが目的ではあっても、じゃがいもを通じた交流⼈⼝が多いっていうのは、他の産地にはない特徴的な魅⼒であると考える。

実際にじゃがいもを作っている畑を⾒て、産地の環境を体感してもらって、どんな⼈たちがこのじゃがいもに関わっているかぜひ感じてほしい。今後は「五四〇」のブランドを生かした、加⼯品を作りたいと意気込む。例えばお⼟産で持っていける、体感できるものがあれば、もっと産地を身近に感じてもらえる武器になるのではと。

「リゾート地としての倶知安と同じように、今度は『五四〇』というブランドの産地として訪れる人が増えてほしい」と言葉に力が入る。

ACCESS

株式会社 本間松藏商店
〒044-0033北海道虻田郡倶知安町南3条西1丁目23番地
TEL 0136-22-0121
URL http://www.matsuzou.jp/
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