福井県を代表する酒蔵「黒龍酒造」は1804年、初代・石田屋二左衛門が永平寺町松岡で創業した。地元・福井のみならず、全国でも屈指の知名度を誇る酒蔵のひとつだ。その名声は、「良い酒をつくる」ための飽くなき挑戦によって高められ、その挑戦は今もなお続いている。
“良い酒づくり”200年の伝統
「黒龍酒造」がある永平寺町松岡は、10キロほど離れた場所に曹洞宗の大本山・永平寺をひかえる。近くには福井県最大の河川である「九頭竜川(くずりゅうがわ)」が流れ、その古名である「黒龍川」にちなんだ『黒龍』は、「黒龍酒造」を代表するブランドになった。『黒龍』はハレの日を演出する高級酒として精米歩合60%以下の吟醸酒を始め、精米歩合35%〜50%の大吟醸酒を揃えている。
また『九頭龍』ブランドは、日常的に楽しむ日本酒として精米歩合65%を中心とした商品を展開している。
全国に先駆けて大吟醸酒を発売
「黒龍酒蔵」は創業以来「良い酒をつくる」との家訓を守り、生産量を追わず品質を追い続けてきた。昭和の高度経済成長期、酒をつくれば売れた時代にあっても「黒龍酒造」は味で勝負の信念を貫き、多量の醸造アルコールを添加する“三増酒”のような酒は一切作らなかった。しかし、当時は日本酒に等級制度(1992年に廃止)があり、国が審査をして品質が優良な「特級」、品質が佳良な「一級」、特級および一級に該当しないか審査を受けていない「二級」を定め、等級が上がるごとに酒税の額も高くなる仕組みだった。消費者にとっては一つの購入基準となっていたが、それは必ずしも飲んだときの美味しさと一致したものでは無かったと言える。「黒龍酒造」は品質の高い酒をあえて審査に出さず、税額の安い二級酒扱いにして少しでも価格を抑えようとしていたという。
その当時、「黒龍酒造」7代目の先代は、日本酒と同じ醸造酒としてのワインに注目し、フランスやドイツのワイナリーを巡った。帰国後は、日本酒もワインのように熟成できないかと試行錯誤を続け、品評会に出すような少量で高品質な酒づくりに力を注いだ。ついに1975年、日本酒業界にとってエポックメーキングとなる『黒龍 大吟醸 龍』を発売。価格は一升瓶で5000円。当時“日本一高価な酒”として話題になり、「吟醸酒」市場の扉を開いた。その後、大吟醸酒を低温で熟成した『黒龍 石田屋』『黒龍 二左衛門』『黒龍 しずく』といった商品が加わり、「黒龍酒造」の名が全国に知れ渡っていった。
品質管理への飽くなき情熱
1990年、大手酒造メーカーに勤めていた水野直人さんが「黒龍酒造」に入社。得意先まわりで訪問した店舗で、「黒龍酒造」の生酒や吟醸酒が常温のまま置かれている光景を目にする。それはいくら「良い酒」をつくっても、品質を維持できる環境ではなかった。自分たちが丹精込めてつくり上げた酒が自分たちの手を離れた後どの様に扱われるのかを目の当たりにした水野さんは、すべての得意先を見直すことを決意。日本酒を正しい温度で管理し、味わいに責任を持つ特約酒販店に限定した。一時的に売上は落ちたが、酒販店を何度も蔵に招くなどして関係を深め、業績も徐々に回復していった。「黒龍酒造」が200年以上の歴史を重ねる中で、酒づくりから販売まで一貫して品質にこだわり続け、信頼を積み重ねてきた成果といえる。
「良い酒」を「良い環境」でつくる
商品の品質管理状況を改善した水野さんは、次に酒づくりの環境整備に着手した。1995年、現在は醸造の総責任者である畑山 浩さんが入社。
仕込時期に合わせて蔵人を雇う季節労働型の酒づくりから、社員中心の酒づくりへの転換を目指した。酒づくりとは飲み手が美味しいと喜んでくれる良い酒を届けること。原酒を絞るところで終わるわけではない。出荷までの貯蔵環境を整えることも良い酒づくりには欠かせない要素だった。その為には通年で酒を管理できる専門のポジジョンをつくり、そのノウハウの継承ができるよう、知識を備えた社員蔵人の育成に取り組んだのだ。
そして、水野さんが「黒龍酒造」の8代目当主に就任した2005年には、1000㎡を超える冷蔵庫を備えた「兼定島 酒造りの里」が完成。「黒龍酒造」本社から車で5分ほどの永平寺町松岡兼定島にあり、本社で搾った原酒をタンクローリーで輸送し、低温・氷温での貯蔵管理を徹底している。いわば「熟成」のための施設であり、「黒龍酒造」では第2の酒づくりの場と位置づけている。
日本酒の価値を高めるために
先代が深い関心を抱いたワインは、高級なものだと、1本数十万から数百万円の値が付く。一方、同じ醸造酒である日本酒はどうか。水野さんは言う。「日本酒はワインに負けない美味しさがあり、手間もかかります。しかし、値付けに関しては、他の蔵の様子を横目でうかがいながら、まぁこんなものか、に落ち着く。私は酒販店が自信を持って最高級の日本酒を売る価格がどのくらいなのかが知りたかったのです」。
その思いをもとに2018年、「黒龍酒造」は新ブランド『無二(むに)』を発売した。年ごとの味の変化や、気象条件などのデータを積み重ね、純米大吟醸酒をビンテージワインのように熟成させた「黒龍酒造」における最高級の酒だ。価格を「入札会」によって決めたのも革命的だった。落札された中には、小売価格が1本10万円を超えたものもあったという。これは「日本酒の価値」を業界全体に問いかけ、日本酒の適正価格についての意識改革を促す強烈なメッセージとなった。
2022年には4年ぶりに第2回の「入札会」を開催。2013、2015、2016、2017年度産の『無二』が出品され、落札総額は前回から倍増した。
市場が日本酒をワインなどと肩を並べられる酒類として評価し、それが根付き始めていることの証明でもあった。
「良い酒」を通して地域の文化を発信
2022年6月、水野さんは3万坪の敷地に新施設『ESHIKOTO(えしこと)』をオープンした。『ESHIKOTO』は永平寺の下浄法寺(しもじょうほうじ)地区にあり、すぐ目の前に九頭竜川が流れる。
「黒龍酒造」のブランドは、現在すでに全国において確固たるものであるのに、水野さんはなぜ挑戦を続けるのか。先代から唯一、水野さんが繰り返し言われていた言葉がある。それは「ちゃんと継ぎなさい」。「黒龍酒造」は越前織の布や越前和紙を酒のラベルに用いてきた。酒づくりを通して、地域の文化を発信し、継いできたのだ。今回オープンした『ESHIKOTO』は、「黒龍酒造」の酒を通して福井の食と文化を発信し、次世代につなぐためのプロジェクトでもある。
3万坪の敷地に酒蔵観光施設を
「ESHIKOTO」は日本酒の貯蔵施設をはじめ、レストランや酒ショップなどからなる複合施設で、未だ建設途中の部分も多い。3万坪の敷地のうち、約1万坪に完成しているのは、「臥龍棟(がりゅうとう)」と「酒樂棟(しゅらくとう)」だ。
「臥龍棟」はイギリス・ロンドンの建築家サイモン・コンドル氏が設計を担当。日本の西洋建築の父とも呼ばれ、日本国内の代表作「東京復活大聖堂(ニコライ堂)」で知られるジョサイア・コンドル氏の孫にあたる人物だ。そのホールには、福井・美山産の巨大な一本杉のカウンターが置かれている。水野さんが自ら森に入って探した杉で、「黒龍酒造」と同様に200年の時を重ねた年輪が刻まれている。
「臥龍棟」はイベント開催に合わせて一般公開するスペース。ホールで、同じく永平寺内産で世界シェア2位を誇るハープの演奏会を開くなど様々な活動に利用している。
一方、「酒樂棟」にはカフェレストラン「acoya(あこや)」と酒ショップ「石田屋」がある。「acoya」は福井県食材を使う福井市のモダンフレンチの人気店「cardre(カードル)」の姉妹店だ。「石田屋」では、施設のオープンに合わせて発売した『ESHIKOTO』ブランドの酒や、「黒龍酒造」の日本酒など15種類以上の酒が日替わりで3種類テイスティングして購入できる。テイスティングは有料だが「黒龍酒造」の酒を試せるとあって人気ぶりは言うまでもない。また越前焼や越前漆器の酒器なども販売している。
新シリーズの酒を発売
新たに発売した『ESHIKOTO』ブランドの酒は3種類。『ESHIKOTO梅酒』は、福井県産品種の梅「新平太夫」が樹上で完熟し、自然落下した「黄金の梅」だけを使って作る。『永(とこしえ)』は、福井県産の「五百万石」と「さかほまれ」という2種類の酒米を使い、乳酸菌の自然繁殖を酒づくりに取り入れた。『ESHIKOTO AWA』は福井県産米で作る、“瓶内2次発酵”にこだわったスパークリング日本酒だ。瓶内2次発酵とは、瓶詰めした後に酵母の力によってゆっくりと時間をかけて発酵・熟成させる製法だ。炭酸ガスを注入する製法に比べて、よりきめ細かい泡が特徴で、高品質な泡酒を生み出す。この蔵では、熟成したもろみを搾る際に、完全に搾り切らずにもろみを残して瓶詰めする。そうすることで、発酵が続き、瓶内2次発酵によるきめ細かな泡ができる。
スパークリング日本酒の挑戦
「臥龍棟」の一角にはガラス張りの日本酒セラー「臥龍房」があり、最大約8000本の『ESHIKOTO AWA』を貯蔵できる。杜氏の畑山 浩さんによると『ESHIKOTO AWA』は約11度のセラーで発酵が進むという。「今、2018年産の『ESHIKOTO AWA』が100本あります。これをもっと寝かせたときにどう味が変化していくのか。まだ未知数な部分は多いですが、超えられない壁をつきやぶってこその伝統。スパークリング日本酒という挑戦を続けていきます」と水野さんは語る。
世界に開かれた“良い場所”に
新しい挑戦の場である『ESHIKOTO』のオープンと歩調を合わせるように、「黒龍酒造」に若い力が戻ってきた。水野さんの2人の娘だ。東京で会社員をしていた姉の真悠さんと、広島で日本酒の研究機関に勤めていた妹の紗希さん。ともにUターンし、「黒龍酒造」を擁する「石田屋二左衛門」に入社。真悠さんは経営に携わり、紗希さんは酒づくりに取り組んでいる。
『ESHIKOTO』は、永久を意味する「とこしえ」から名付けられた。「とこしえ」という言葉を、永久の象徴である“メビウスの輪”のようにひねりを加えると「えしこと」になる。「えし」は古語で「良い」を表すという。水野さん親子の夢は、『ESHIKOTO』をフランス・ブルゴーニュやアメリカ・ナパバレーのワイナリーのように、良い酒を醸しながら、世界中から集まる人たちとともに楽しむ、開かれた“良い場所”にすることだ。今後、『ESHIKOTO』の敷地にはオーベルジュやウイスキーの蒸留所の建設も予定している。
「黒龍酒造」の「良い酒をつくる」伝統は、ブラッシュアップを続けながら次世代に承継され、永久(とわ)に続いていくに違いない。