600年続く“幻の茶” 日本の原風景が生み出す「政所茶」を未来へ/滋賀県東近江市

600年続く“幻の茶” 日本の原風景が生み出す「政所茶」を未来へ/滋賀県東近江市

琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の山間にある政所(まんどころ)。緑豊かな山々から澄んだ水が流れ、茅葺き屋根が点在するこの小さな集落は、室町時代から続く「政所茶」の産地だ。農薬や化学肥料を一切使わずに栽培され、その希少性から“幻の茶”と呼ばれるお茶の産地が今、若い力によって生まれ変わろうとしている。

「宇治は茶所、茶は政所」と歌われた伝統的な産地

政所茶は三重県との県ざかいにある鈴鹿山脈を源流とする愛知川(えちがわ)の清流と渓谷に発生する霧に薬用効果を期待して室町時代に村人に薬用としての茶の栽培をさせたことが始まりとされる。「永源寺」という室町時代以前から続く臨済宗の禅寺があり、応仁の乱の頃、京の都からこの辺りに人々が避難して来た際に、永源寺の僧達が寺で育てたお茶をふるまったところ「おいしい」と評判になった。これを機に政所のお茶は京都で広く飲まれるようになり、寺でのみ行われていた茶葉の栽培が民間にも伝わって、政所はお茶の産地となった

かつては「宇治は茶所、茶は政所」と茶摘み歌で歌われるほど全国的にも知られ、幼い石田三成が豊臣秀吉の家臣として取り立てられるきっかけになった「三献茶」のエピソードでふるまったのも、この政所茶だといわれている。

厳しい環境を生き残った希少な在来種

政所茶が栽培されるのは、標高350〜450メートルにある山の斜面。お茶の栽培限界は標高600メートルといわれることからすると特別に高い場所ではないが、冬になると2メートル以上の雪が積もるのがこの土地の特徴だ。そのうえ山間部で日照時間が短いため、1年のうち4ヶ月ほどは茶の木の上に1メートル以上の雪が乗り続けることになる。厳しい環境で他から持ち込んだ品種はなかなか根付かず、全国で栽培される茶樹の大半が「やぶきた」種である中、政所では室町時代から受け継がれてきた在来種が全体の7割を占めている。

日本の原風景に魅せられ、若い力が集まる土地に

かつては「お茶と林業だけで生計が成り立つ」と言われたほど、お茶の栽培は政所の人々にとって生活の要だった。ところが戦後の高度経済成長期を迎え、外へ働きに出る人が増えるにつれて、お茶の生産量は減少。茶畑の面積は最盛期の30分の1ほどになり、市場に出回らなくなった政所茶は、“幻のお茶”と呼ばれるようになった。

現在、政所茶の生産者は60軒ほど。しかし生産規模は小さく、そのほとんどが、自分達が飲むだけの量を細々と育てながら余剰分を商品として出荷している状態だ。商業化されなかったことで、より自然に近い形での生産が続けられ、人々の暮らしに茶畑が溶け込む独特の風景が残った。そんな日本の原風景に魅せられて、今、政所に若い力が集まり始めている。

気づいたら「私にやらせて」と申し出ていた

「初めて来た時、ここのじいちゃん達が政所茶を語る姿がすごくかっこよくて。何か力になりたい、と思ったのがすべての始まりでした」と話してくれたのは、「茶縁むすび」代表の山形蓮さん。

山形さんが政所に出会ったのは10年前。東日本大震災の災害ボランティアとして被災地に通ううちに、地域のつながりが強いところで暮らしたいと考えるようになった。そんな頃、大学時代の恩師に誘われて訪れたのがここ政所。初めて会う山形さんに、80歳近い地元の人が「ここのお茶は先祖からの預かりもの。大事にしたいけど、子供には自分達のような苦労はさせたくない。ちゃんと教育を受けて良い仕事に就かせてあげたいと願った結果、子供達は外に出てしまった。それは自分が願ったことだけれど、このお茶を何とかして残していきたい」と、懇々と語ってくれた。そんな姿に心を打たれ、気づけば「どうせ捨てることになるなら、私にやらせてください!」と移住を決めていたという。 山形さんは今、茶縁むすびで外部に向けて政所茶の魅力を発信しながら、「政所茶生産振興会」の理事を務め、内側の生産・販売体制を整える活動に力を注いでいる。

医師業のかたわら、受け継いだ茶畑

そしてもうひとり、山形さんとの出会いがきっかけとなり、お茶の栽培を始めたのが佐藤滋高(しげたか)さん。なんと佐藤さん、現役の放射線科医だというから驚きだ。

お茶ってすごく身近な飲みものなのに、よく考えてみたら何も知らないことにある時ふと気づいたんです。詳しく勉強したいと思い、県内で生産現場が見学できるところを探していて出会ったのが山形さんでした。初めて茶摘みを手伝わせてもらった時、それが思いのほか楽しくて。事あるごとに手伝いに通って半年たった頃、『こんなに通ってくれるなら、自分の畑を持ってみたら?』と提案してもらってお茶の栽培を始めました」。

今は仕事の合間に政所に通いながら、周りの人達に教えてもらって夢中でお茶作りに取り組んでいるところ。「滋茶園 Shige-Lu tea garden」の名義で茶葉の栽培や、ワークショップを通じた政所茶の普及に努めている。

樹齢300年を超える茶樹

茶畑といえば、カマボコ形に刈られた茶樹が整然と並んでいるイメージだが、政所の茶畑は一風変わっている。山の斜面に茶樹がぽこぽこと点在し、全体的に背が低い

「この辺りの樹は、すべて樹齢100年を超える在来種です。このように政所には、在来種だけが植わる畑が昔と変わらない姿で点在しているんですよ」と山形さん。

さらに、「地面を這うように枝を広げているのは樹齢300年を超える樹で、この集落でいちばん古いもの。もちろん今も現役で、滋賀県の自然記念物に指定されています。政所の茶樹が上に伸びないのは、冬の積雪量が多く、雪の重みで枝が曲がってしまうから。春になって雪が溶けると下からぺちゃんこの樹が出てきて、そこからムクムクと起き上がってくるんですよ」と佐藤さんが続ける。昔から続く在来種の茶樹は戦後茶産業の品種化や機械化で姿を消し、今では全国でほんの数パーセントしか残っていないという。

無農薬は当たり前

集落を歩くと、あちらこちらできれいな湧き水に出会う。政所では、こういった湧き水が今も生活用水として使われているそうだ。

政所の集落は、琵琶湖に注ぐ愛知川の源流にある。人々には「源流に住む私たちが水を汚しては、川下の方々に申し訳ない」という考えが根付いており、農薬や化学肥料を使わないのは当たり前。お茶に薬の成分が残らないよう、茶畑では虫除けスプレーすら使わないという徹底ぶりだ。「ここの人達が考える“おいしいお茶”の基準は、お茶そのものの味、ひいてはこの土地の風土を映した味がすること。農薬が出回るずっと前からここではお茶作りが続けられてきました。かつてと同じ作り方で、政所茶の伝統を継承していきたい思いがあります」という山形さんの言葉からは、何百年も続いてきた産地のプライドがうかがえる。

政所の新たな定番「平番茶」

政所では3月下旬になると、成熟して硬くなった茶葉を枝ごと刈り取って番茶作りが行われる。木製の大きな桶に茶葉を詰めて蒸し、枝を取り除いて乾燥させるというシンプルな製法で、詰め込まれた際の圧で茶葉が平らになることから「平番茶(ひらばんちゃ)」と呼ばれている。

山形さんが政所に来る前は人手が足りず、番茶になる枝葉を刈り落としたあと、そのままにすることも多かったが、現在は政所茶生産振興会で計画的に収穫するようになった。少し前まで「番茶はあくまで普段使いのお茶。人様に出すものではない」とされていたが、平番茶として商品化してからはファンが増え、今では「政所といえば平番茶」というイメージが定着しつつある。カフェインが少なく甘さのある優しい味わいで、どんな食事にも合わせやすいのも人気の理由だろう。タンニンを洗い流してくれることから、赤ワインの合間に飲むソムリエもいるという。

若い世代にも手に取ってもらえるようパッケージを工夫し、気軽に飲めるティーバッグも作った。その結果、カフェや美容室の店頭に置かれるなど新たな販路を獲得し、政所茶を知る人は着実に増えている。  

何百年も続いた風景を絶やしたくない

「お茶の仕事だけで生計を立てるのは、いまだに容易ではありません。それでも何百年も続いた価値のあるものを、目の前で絶やしたくない。失われてほしくないと感じる魅力がこの土地にはあるんです」と話す山形さん。山形さんや佐藤さんが楽しそうにお茶作りを続けている様子を見て、「自分もやってみたい」と政所に足を運ぶ人が増えてきた。こうした変化は、一度政所を出た若者達がこの土地に戻るきっかけも生んでいる。

産地としての足場を固めながら、政所らしいお茶作りを未来に継承していく。新たなスタートを切った政所茶の躍進は、まだ始まったばかりだ。  

ACCESS

茶縁むすび
滋賀県東近江市政所町966
URL https://mandocorocha.base.shop