あばれ鮎が育つ環境
岐阜県北部の飛騨市宮川町。富山県に隣接するこの地域を流れる宮川の下流には、夏になると全国から多くの釣り人が集う。鮎釣りの名人・室田正さんもその一人だ。
鮎が釣れるスポットは、山形県の最上川や愛知県の新草川、高知県の仁淀川など、日本各地に多数ある。ここ宮川下流は琵琶湖産の天然鮎が多く放流されており、釣りの解禁日を迎えるころには13cm程に育った活きの良い鮎がそこかしこと現れる。
多くの釣り人が宮川の下流に集まる理由は他にもある。それは広葉樹が多い山々に囲まれているため、時間をかけて濾過されたミネラルを多く含んだ水が川に流れ込んでくるからだ。それだけではなく、川底には大きな岩が多いことなど、鮎の食料となる良質な苔が育ちやすい条件が揃っており、大きいもので25cmを超える元気な鮎に成長する。
「暴れっぷりが他と全然違う。こんなに“根性“のある鮎は他にはいない、釣られまいと全身のヒレを張って必死に泳いで抵抗してくる。このアタリが友釣りの魅力、だから釣り師としての血が騒ぐんですよ。簡単に釣れたら面白くないでしょ?」と室田さんを虜にしている。
釣り名人になるまでの道のリ
70余年を迎えた鮎釣り界のレジェンド・室田さんは京都に生まれ、地元の上桂川で釣りを覚えて熱中した。なかでも高度な技術が要求される鮎の友釣りに魅せられ、高校生ながらも、毎年夏になると釣った鮎を当時の農協にキロ単位で買い取ってもらうほどの腕前だった。商品である鮎が傷つかないように釣る技術を真剣な遊びの中で磨いた。社会人になってからもその熱は冷めるどころかさらに加速。「この川の鮎は活きがいい」と人から話を聞くと、全国各地へ車を走らせた。そんな全国各地の鮎を釣ってきた室田さんをも虜にしたのが、宮川下流のあばれ鮎だった。
鮎を釣る「友釣り」とは
魚の釣り方と言えば、エサで釣ったり、ルアーで釣ったりと魚の食性を利用した駆け引きが一般的だが、友釣りは鮎の“縄張り意識”を利用する。鮎は自分が生きていくための藻を、自らできれいにした石の上で守る。そして、育てたエサ場を奪われまいと、縄張りに侵入する他の鮎を激しく追い払う。この強い縄張り意識を利用して生きた鮎をオトリに使い、あえて縄張りに侵入させる。そこで岩場からおびき出し、オトリの鮎を暴れさせて仕掛けた針に引っ掛けて釣り上げるという算段である。それゆえ、オトリとなる鮎も仕掛けられる側の鮎も暴れるほど元気な方が、釣果に直結するのだ。しかし、狙った通りにいかないことが鮎釣りの難しさであり、醍醐味でもある。水温や水量、水の流れなど条件は千差万別。オトリとなる鮎の動きも一定ではなく、思い通りに動いてくれるはずもない。ターゲットとなる鮎も不自然な動きのオトリは囮と見なす賢さがある。さて、はたしてどうすれば意の通りに鮎が釣れるのか。50年以上に渡って鮎と対峙してきた室田さんの極意は「無」になること。つまり、無闇に竿を動かさずオトリとなる鮎に全てを任せ、自然体のまま泳がせる。老子のように無為自然の心待ちで竿を持つ。そうすることで、室田さんは1時間に46匹もの鮎を一本釣りすることに成功し、いまだにこの記録は破られていないという。そして、釣ったあとはその場で新鮮な鮎を塩焼きにして食べられるのも楽しみの一つ。良質な苔で育った活きが良い鮎は、香りが良く、この上なく美味しい。
室田さんが目指す先にあるもの
鮎に魅せられて全国をめぐり、おいしいあばれ鮎が育つ宮川下流に移住した室田さん。たかが釣り人と揶揄される事もあったが、いつかは自分の釣った鮎を築地に並べるのが夢だったと語る。ようやく昨年初めて行政や地域の住民と協力し、地元企業を介して築地に鮎を卸す夢がかなった。”あばれ鮎”と名付けブランド化にも精力的に取り組んでいる。「市長や企業の偉い人がただの釣り人と仕事しとるって不思議やな」と屈託なく笑う室田さん。天地自然の理に従い、自分に正直に生き続けたからこそ、心澄み切った川のように満ち足りた表情を浮かべている。