長野県の二大主要都市、長野市と松本市にそれぞれ醸造所を構えていた「大信州酒造」。そのため、エリアに影響されることなく長野県全土に渡って広く取り扱われ、長野県を代表する地酒としてオーソドックスに提供される、まさに銘柄のとおり、県民にとって非常に馴染みの深い銘柄を醸す酒造だ。
そんな大信州酒造が2020年に松本市に拠点を集約。新たなる蔵の歴史を一歩踏み出した。
景観美より機能美を追求
明治13年(1880年)に「原田屋」という屋号で創業した造り酒屋が長野県内の複数の蔵と合併し、誕生したのが「大信州酒造」。当時の記録として正確な軒数こそ残っていないが、文献や語り継がれる先代たちからの話によると約7軒ほどの造り酒屋がひとつにまとまった大合併だったという。
合併後もしばらくは、それぞれの蔵が独自に醸造を行っていたが、生産性向上を図り、1972年に長野市豊野に醸造拠点を、松本市島立に瓶詰め、出荷拠点を集約し、酒造りを行うようになった。しかし、2拠点に集約したとは言えど、距離にすれば約80kmの道のり。輸送するだけでも簡単ではないし、ワンストップで酒造りができないから効率も良くない。いつかは一箇所に集約しなければ、という思いはあったものの実際にはなかなか実現しなかった。
しかし2020年、いよいよ念願叶って拠点を合併の中心となった原田屋のあった松本市島立に集約。酒蔵のイメージを一新した新社屋とそこに併設した醸造所は、酒造りの導線やオペレーションを最優先し、機能美を追求している。もちろん、古く趣のある酒蔵というのは、それだけで訪れた人を感動させ、そのイメージだけで酒の味を高めてしまうほどの風格があるし、日本の伝統産業である以上、それも守りながら酒造りを行っていくべきとも考えた。しかし現・代表取締役社長を務める田中隆一さんは、製造を行う会社である以上、機能しないレガシーでは意味がないと考え、今はなるべく生産性を高め品質を向上させることで、100年先も同じように酒を醸しつづける、そして来る100年後に、改めてこの施設を価値のあるレガシーと呼べるものにできるよう、より一層会社を成長させていくという選択をした。
こうして誕生した新社屋は明るく清潔感があり、従業員の表情や声も皆一様に明るい。趣を手放し、従業員が気持ちよく働ける環境を手にした新生・大信州酒造。良いと思ったものを貫く姿勢は醸す酒からも感じ取ることができる。
大信州酒造がこだわる辛口
大信州が目指すのは、りんごのような爽やかな香りの辛口の酒。この香りは、日本酒を作るときに生まれる香り成分の一種で、洋ナシ、パインのようにも感じる甘い香りが特徴の吟醸香だ。吟醸造りを主としている大信州酒造では昔からこの吟醸香を追い求めてきた。近年では酵母の力を使ってこの香りを一気に引き出せるようにはなったが、それでは少々出過ぎなんだと田中社長は言う。
大信州酒造では、リンゴや柑橘類、白ブドウの香りが見え隠れする香りを感じつつも、上品且つ軽快で洗練された味、そのような酒を目指している。最近は酒の品評会でもそういう味の酒が好まれるし、賞も取りやすくなる。しかし、それはあくまでも昨今のニーズであって、目先の流行を追って自蔵の目指す酒の味まで変えてしまうのはちがう、田中社長はそう考える。ブラインドで試飲しても「これは大信州だろう」とわかる、そんな普遍的で個性のある味を目指しているのだそう。
味を決める7割は原料
そのため、原料処理の段階からこだわる。新施設では日本酒に使う米を洗う水温が一定となるシステムを導入。外気温の影響で水温が上がっても、米が水を吸いすぎてしまわないよう工夫されているのだ。また、蒸した米はサバケ(手触り)が断然良くなる自然放冷で熱を飛ばすのが大信州流。品評会用の吟醸酒から地元流通用の燗酒にいたるまで、酒母に使う蒸し米も麹に使う蒸米もすべて自然放冷を行っている。
近年では時間も手間もかかってしまうため、すべてを自然放冷をする酒造は少ない。しかし、これは旧蔵の時からずっと行っているこだわりだから、決して変えようとは思わない。そのため、新施設では放冷の工程が少しでも楽になるよう、導線などが工夫された。
酒米の種類や酵母など、目に見えてその違いがわかるものではないが、大信州酒造では原料とその処理が味の7割を決めると考えているからこそ原料処理にこだわり、それにとって最適な環境を整えた。もちろん、原料にもこだわりがある。現在、大信州酒造で使っている酒米は全量契約栽培で全量地元産。そのうちの8~9割は有機農法で育てられたもの。品種も長野県で誕生した「ひとごこち」と「金紋錦」の2種類に限定している。
数年前までは「山田錦」なども使用していたが、すべて切り替えた。蔵人からは現在でも山田錦を使ってみたいという声があるのも事実だし、実際に山田錦は酒米の王様だと思っている。しかし、山田錦は兵庫県原産の酒米で、兵庫県の気候風土のもとでの栽培が適している。だから、地元産の米を使うと決めた以上は長野県の栽培環境に適した品種に合わせ、自蔵の目指す酒の味をコントロールしていくべきだと考えた。
その背景には、自然豊かな長野県の持つ農業適正のポテンシャルを最大限活かすことこそが、地元企業としての使命だという強い意志がある。こういった地元への想いは、仕込み部屋のいたるところに貼られた、ある言葉からも感じ取れる。
酒とその素材に向けた「愛感謝」
松本市内では一番の生産量を誇る大信州酒造。新しい仕込み部屋は作業効率をよく考えた導線になっており、部屋のなかに視界を遮るものがほとんどないぶん、実際の面積よりも広く感じる。
酒蔵とは思えぬほど室内は明るく開放感もあり、見ているだけで働きやすい環境だということが伝わる。ふと、この部屋を見渡すと、いたるところに張り紙を見つけることができる。
「愛感謝」と毛筆で書かれたそれは、その年の酒造りが始まる前に社員ひとりひとりが書くものなのだそう。古くから蔵のシーズンインの慣習となっているその書き初めには「これから造る酒とその蔵を取り巻く自然環境に向けて、愛と感謝を込める」という想いを込めているのだとか。
気持ちがこもっていないと良いものは造れないという考えから先々代の大杜氏がはじめたものが、今もなお大信州酒造に息づいている。こうしたフィロソフィの継承が仕事環境を優先した施設や地元に根ざした酒造りにつながっているのだろう。
ちりが積もって山が作られる
奇をてらったことはせず自蔵の酒の味をただひたすらに追求し続ける大信州酒造。
先々代の大杜氏が言った「我(わ)は、調和の取れた、まあるい酒がいいな」という言葉が、現在も自分たちの酒造りのベースとなり、万人に愛される酒造りを目指している。酒の味や造りかたを大きく変えたりはせず、原料や原料処理が味の良し悪しを決めると考え、基礎を研鑽しつづける。
その道程は決して派手ではないが、自分たちが良いと思ったことはすべて取り入れ、一歩ずつアップデートしていく。
田中社長は、そうして積もったちりが、やがて大きな山となり、新たなる土台となる、それこそが大信州酒造の在り方と考え、100年先を見据えて日々酒造りに力を注いでいる。