現代の「志野焼」をたおやかに表現する·林友加さん/岐阜県土岐市

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志野焼を愛した陶芸家

日本でつくられる陶磁器のうち、最大のシェアを誇る”美濃焼”。その特徴は、“特徴が無い”こと。その時々の、ニーズに合わせたデザインが生まれる過程で、発展を遂げてきたため、九谷焼や有田焼などのように、固有のスタイルを有しておらず、産地が岐阜県(旧美濃国)の東濃地方であること、が美濃焼の定義とされている。使い勝手の良さから、日本人の日常に自然と溶け込んできた美濃焼が、最も進化を遂げたのが、茶の湯文化が栄えた安土桃山時代。武将でもあり、茶人でもあった文化人・古田織部(おりべ)が、陶芸家に作らせたとされ、大胆な歪みを良しとした「織部」。そして、「黄瀬戸(きせと)」「瀬戸黒(せとぐろ)」「志野(しの)」と呼ばれる代表的な4つの様式が生み出され、今日まで日本の食卓に当たり前のように馴染んできた。
岐阜県南東部に位置し、陶磁器生産量日本一の町、焼き物のメッカとして知られる土岐市。ここに工房を構えて活動する林友加(ゆか)さんは、「志野」を愛し、そのスタイルを新しい解釈で体現できる陶芸家だ。「志野」は耐火温度が高く焼き締りが少ない、「五斗蒔(ごとまき)粘土」や鉄分が少なく、ほんのりとした紫色やピンク色がかった白土の「もぐさ土」を使った素地に、白い長石釉(志野釉)をたっぷりとかけて焼成する。ぼってりとした厚みのある素地に入るきめの細かい貫入(亀裂のような模様)と乳白色のやさしい色合いと、表面のゆず肌と呼ばれる多数の小さい孔が特徴だ。

優しさと美しさが溢れた器

林さんが「志野」を作り始めたのは偶然ではなく必然。つまり運命だった。兵庫県に生まれ、関西の大学に進学するまで過ごした土岐市での記憶。窯業を営んでいた父方の生家で自然と焼き物に触れ、無邪気に遊んでいた幼少期。東京で就職して充実した日々を過ごしていたものの、自分の生業ではないと感じ、通い始めた陶芸教室。さらに道を突き詰めようと帰郷して学んだ土岐市立陶磁器試験場。それから10年白磁と向き合い、新しい作品をと考えたのが、東京在住時に美術館で目に焼き付いていた「志野」。それは、枝分かれしたようでいて、しっかりと根を張り、どっしりと成長した幹になっていた彼女の人生を投影したものでもある。茶室や床の間が無い家が多く、ごく限られた場所でしか茶会が催されることが無い現代において「志野」がどうあるべきか。熟慮と数多くの実践の過程で、林さんが導き出した答えは、アートと日用品の間にあり、楽しく穏やかな気持ちになれる器であることだ。
彼女が生み出す、たおやかで凛とした表情の器は、エッジィな美しさと温かみのあるやさしさが共存し、奥深い「志野」の世界と現代の生活を、やわらかくつなげてくれる。誰もがときめくような、優しいピンクとグレーが織りなす表情は、一つ一つの作品で同じものは無く、どの器もコレクションしたくなるような所有欲を掻き立てる。使う事を目的にせずとも、手元に置いて眺めていたくなるような愛らしさだ。毎回作品に違って現れるピンクやグレーの色の表情に、一喜一憂しながら作品作りを楽しんでいるという。林さんは、なぜ「志野」に惹かれたのかは定かではないという。だが、彼女の器を見て、使って心地良いと感じる刹那が、理屈以上に日々の暮らしを豊かにするヒントをさりげなく教えてくれる。

ACCESS

林 友加
岐阜県土岐市
URL https://www.instagram.com/yuka.hayashi12/?hl=ja
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