世界三大ハムの「パルマハム」
プロシュット・ディ・パルマ。別名パルマハムは、中国の金華火腿(きんか かたい)、スペインのハモン・セラーノと並び、世界三大ハムの一つに数えられる。生産地は、イタリア北東部エミリア=ロマーニャ州パルマ県ランギラーノ。美食の都として知られるパルマの中心部より約10km離れた、人口1万人ほどの集落にある約200の工場で世界に流通するほとんどのパルマハムは生み出されている。しかも、2,000年以上前からだ。だが、なぜこの小さな町で世界を代表するハムが作られるようになったのか。
「『風』です。パルマハムは亜硝酸などの添加物を一切加えず、工程は塩漬けと乾燥熟成のみ。だから風の質によって肉の味もかなり変わるんですが、美しい山に流れる清流から吹きこむパルマの風と、パルマに存在する常在菌がハムを美味しくするんです」と話すのは、日本人で初めてパルマハム職人として認められた多田昌豊さん。大学生の頃、偶然口にしたパルマハムの味が忘れられず、30歳にしてハム職人になることを決意し、単身イタリアへ。ひたすらランギラーノのハム工場の門を叩いたが、イタリア語が話せず当ても無かったため当然門前払いの日々が続いた。
「当時はヒデさんがローマで活躍されていて、勝手にライバル視してたんです(笑)。どれだけチャージされてもヒデが倒れないなら俺も倒れないって」(多田さん)。8カ月もの間ハム工場を回り続けた結果、その情熱に相手が根負けし、晴れて本場の工場の職員となり、最終的に約10年パルマハム職人として働いた。
ようやく職人として一人前に仕事が出来るようになったころ、アメリカの資本が入ってきて、大量生産の波がパルマにもやってきた。職人的なやり方より生産性が優先されるようになったのだ。多田さんが感動した、あのパルマハムが作れない状況になってしまった事をきっかけに日本への帰国を決意。色々な可能性を考えた結果、日本でのパルマハム作りに挑戦することを決めた。その中で、気候条件や環境がパルマにそっくりな場所を求めて、日本中を3年程走り回ったという。そうしてようやく、美しい山、そしてきれいな川が流れ、パルマの風に近い風が吹いていた岐阜県関市にたどりついたのだそうだ。
「パルマハム」を日本に広めたい
だが、日本では前例の無いパルマハム作りは困難を極めた。パルマハムとして認められるには、9カ月肥育した150kg以上の豚を使うという条件がある。日本の豚におきかえると6ヶ月以上飼育された120kgを超える豚という事になる。パルマハムには豚が大きくないと美味しく出来上がらないという考えがあり大きさは法律化されている。また、皮つきのまま48時間以内に塩を打って仕込む事も絶対条件。日本では屠畜の際に皮を剥ぐことが一般的で、皮が付いたままの豚を仕入れて仕込むのが難しかった。
紆余曲折を経て豚は手に入るようになったが、今度は熟成に必要な酵母ができなかった。イタリアから酵母を持ってくることも考えたが『ゼロから作れるなら絶対自分でやった方が良い』と仲間に言われた言葉を信じて、試作を続けた。ずっと工場に籠って働いていたら奇跡的にできた瞬間が訪れたのだ。そこから、少しずつ自分がイメージするハムが表現できるようになった。気づけば日本でのハムづくりを開始してから5年が経っていた。
2000年以上の歴史を有するパルマハムに対して10年程度の経験しかない自分が挑むのは生意気かもしれないが、古き良きパルマハムの姿を取り戻してほしい、これからは“日本のハム”を確立して、パルマに語り掛けたいと話している。
かつてイタリアで情熱だけしか無いと笑われていた男が作るハムが、人々を笑顔にし、言葉よりも雄弁にその素晴らしさを物語る。