静岡の神社といえば「静岡浅間神社」
静岡市で駿河区と共に中心市街地を形成しているここ葵区は、戦国期の今川時代から駿河エリアのかなめであり、駿河城は家康が幼少期を過ごしただけでなくのちに大御所政治を行うなど、徳川政権の事実上の副都として機能していた。碁盤の目のように区画された町割りは、家康が愛したその頃とほとんど変わっていない。そのような背景から、2005年の政令指定都市への移行について住民投票が行われた際には、徳川家紋の「葵」にちなんだ区名が選ばれたそうだ。
葵区内に突き出る賤機山の南麓にあり、敷地面積約1万3000坪。広大な敷地を持つ静岡浅間神社は、“おせんげんさん”と呼ばれ、静岡で神社といえば真っ先にその名が挙がるほど、古くから地元の人たちに親しまれている神社だ。2014年からは「20年かけての化粧直し」と銘打った大規模な塗り替え工事を実施しており、幕末に作られ国の重要文化財にも指定されている26棟の社殿は順次改修が進んでいる。
実は、静岡浅間神社とは「神部神社」、「浅間神社」、「大歳御祖神社」の三社の総称。神部神社は約2100年前、大歳御祖神社は約1700年前、浅間神社は約1100年前に建立され、それぞれに長い歴史を持つ。三社ともに朝廷をはじめ、国司・武将らの篤い崇敬を受け、駿河国総社・静岡の総氏神さま、駿河の大社として広く信仰されている。敷地内にはこの三社を含め、合計七つの社が存在していて、このすべてを参拝することを「七社参り」といい、七社参りを行うと”万願叶う”と言い伝えられているとか。
徳川家康も訪れた神社
総漆の朱色で彩られた神々しい気品ただよう楼門は、1816年に建てられ、国の重要文化財の指定を受けている。同じく国指定重要文化財の立派な大拝殿は、桜閣造りで、高さ25m、殿内132畳敷の広さに、梁や天井にめぐらされた龍や麒麟、鳳凰などの豪華な装飾が施されている。狩野栄信、狩野寛信らによる天井絵を飾り、ここが強大な権力者に愛されてきたことを物語っている。造営のために、全国からかなりの数の職人が集められたそうだ。色とりどりの装飾を見て、中田がつぶやく。「日光東照宮に似ているなあ」(中田)それもそのはず。この神社は日光東照宮の主祭神である徳川家康も戦勝祈願に訪れたそうで、大火で消失した際には、江戸幕府の負担で再建されたそうだ。
自然豊かな敷地をめぐりながら高台まで登ると遠くに富士山が見えていた。ここの拝殿は通常の神社と違い、富士山の方向を向いているのだという。どこから見ても美しいのが富士山。いにしえの人々がこの山を神と崇めたのがよく分かる。七社すべてをまわる時間はなかったが、この場にいるだけでいい気をもらえるように感じた。