島津家の別邸「 仙巌園」
鹿児島を覆うのは、火山灰や溶結凝灰岩を含むシラス台地。この土壌は、水はけがよすぎるため、藩政時代から稲作に向いているとは、決して言えなかった。それでも江戸時代以降、幕末から明治期にかけて幕府が一目置く大藩として存在感を示したのは、この地に根付いた「進取(しんしゅ)の精神」があったからこそだろう。「進取」とは、自ら困難な課題に果敢に挑戦すること。
その象徴ともいえるのが、鹿児島市にのこる島津家の別邸、「仙巌園(せんがんえん)」だ。
庭園からは、まるでそれが景色の一部であるように、勇壮に噴火を繰り返す桜島の姿が見える。園内をまわると、琉球国王から贈られたあずまやの「望嶽楼(ぼうがくろう)」や、巨大な岸壁に文字を刻んだ「千尋巌(せんじんがん)」、中国蘭亭の影響を感じさせる「曲水の庭」など、琉球(沖縄)や中国、東南アジアの影響が感じられる。この島津家別邸は、1658年に19代当主光久によって造られた。幕末から明治にかけては、英国やロシアの皇太子など要人をお招きする迎賓館として使われ、現在は歴史ある庭園として多くの県民に愛されている。
島津家の博物館「尚古集成館」
隣接する博物館「尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)」では、島津家28代当主の斉彬(なりあきら)が取り組んだ、集成館事業(近代化事業)について学べる。琉球王国を支配下においていた薩摩藩は、海外貿易を積極的に行い、その中で最新情報を受け取っていた。豊かな国づくりを目指した島津斉彬は、ヨーロッパの知識と日本の技術を融合させ、仙巌園のある磯地区に「集成館」という工場群を造る。そこでは、反射炉や溶鉱炉の建設、造船、ガラス製造などを次々に展開し、富国強兵・殖産興業政策を推し進めた。
「いろいろな事業を手がけていたんですね。幕府が島津家を恐れていたというのもよくわかります」(中田)
日本の近代化は、非西洋地域において、最初でかつ極めて短期間のうちに飛躍的に発展を遂げたという点で評価を受け、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産に登録された。工場群「集成館」のあったエリアも、構成資産「旧集成館」として登録されている。
世界遺産登録までの流れや、近代化のストーリーについては、仙巌園内の「世界文化遺産オリエンテーションセンター」が詳しい。仙巌園は現在、美しい大名庭園であると同時に、薩摩切子や薩摩焼といった鹿児島の名産品を扱うショップや郷土料理レストランを有する、鹿児島を代表する観光施設となっている。入場料は、【仙厳園・尚古集成館・御殿】がセットになったもので一般の大人・高校生以上が1,600円、小・中学生が800円となっている。団体料金での販売も行われている。
薩摩藩からは、西郷隆盛や大久保利通、鎖国中にヨーロッパへ渡った薩摩藩遣英使節団など、日本の近代国家の成立において大きな功績を残した人物が数多く輩出された。これは、いち早く世界を俯瞰した斉彬の精神を受け継いでいるからに違いない。