世界で人気になった日本のウイスキー
かつて高級なバーでは、「日本のウイスキーのボトルを並べるな」といわれていた時代があった。それが、いまやジャパニーズウイスキーは、世界中で人気を博している。オークションなどで信じられないような高値がつき、ニュースになるほどだ。東京の北西約100km、埼玉県秩父市にある秩父蒸溜所の「イチローズモルト」は、そんな近年のジャパニーズウイスキー人気の牽引役といっていいだろう。このウイスキーの製造・販売を手掛ける会社、ベンチャーウイスキーを肥土伊知郎社長が設立したのは、2004年のことだった。
「実家が造り酒屋だったんですが、日本酒事業への大規模投資が原因で、経営が悪化し、破綻しました。営業譲渡はできたんですが、譲渡後にウイスキー事業からの撤退が決まり、400樽残ってしまった原酒の中には20年近く熟成されたものもありました。福島県の笹の川酒造さんが樽の保存に力を貸してくれて、それを世に出すために始めたのがいまの会社です」(肥土社長)
社長の名前から「イチローズモルト」と名付けられたそのウイスキーは、最初から売れたわけではなかったという。肥土社長は首都圏のバーを渡り歩き、バーテンダーに自分たちのウイスキーを紹介し、味見してもらうという事を続けた。これを売るには、ブランドではなく味で評価をしてくれるバーで扱ってもらう必要があると考えたのだ。
「まったくの無名ですから、自分で営業するしかありませんでした。
2年かけてのべ2000軒のバーをめぐり、600本をなんとか売ることができました」(肥土社長)
秩父で造るジャパニーズウイスキー
こうした地道な営業活動の結果、多くのバーテンダーから高評価を受け、口コミが広がり徐々にファンを増やしていった。「イチローズモルト」と名付けて商品を販売していくのと同時に、自身で蒸溜所を建てる準備を始めた。2006年に「キングオブダイアモンズ」がイギリスのウイスキー専門誌「ウイスキーマガジン」にてプレミアム・ジャパニーズウイスキー部門でゴールドメダルを受賞し、世界的な評価を得て「イチローズモルト」の名が知られるようになると、2017年から5年連続で「ワールドウイスキーアワード」ジャパニーズ部門で世界最優秀賞を受賞した。2007年に秩父に蒸溜所が完成すると、2008年2月に酒造免許が交付され本格的にウイスキー造りが始まった。
「もともと肥土家が日本酒を造っていたのが秩父なんです。ここには荒川上流のおいしい水があり、寒暖差もあり、ウイスキー造りの条件が揃っているんです」(肥土社長)
工場も貯蔵庫も決して大規模ではない。だが、だからこそ世界が認める味わいが守られている。肥土社長が守ろうとしたもの、それは代々肥土家がこの地で受け継いできた「何か」を大切にし続ける事であり、それがウイスキーとして形となりそれを世界が認めたのだろう。「自分の目が届く範囲、味がわかる範囲で造る。だから日々の変化がわかるし、それを積み重ねていくことができる。12年間それを繰り返してきて、ようやくウイスキー造りがわかってきたような気がします。これからが第2のスタートライン。地元の原料も使いながら、秩父らしいウイスキーを造っていきたいと思っています」(肥土社長)夢は、秩父蒸溜所で造った30年ものを飲むこと。ジャパニーズウイスキーのトップランナーは、まだまだ時間をかけて、ゆっくりと味に磨きをかけていくことだそう。