枠組みにとらわれた現代茶釜
長野新(あらた)さんは茶釜を作る釜師。茶釜というとやはり格式があると思うのが普通だろう。
「茶釜自体にはこうしなくちゃいけないっていうのはほとんどないんです。ただ、利休以降の茶道においてさまざまな流儀が発生して、その流儀にあった茶釜という枠はありました」
長野垤志(てっし)さんによれば、江戸中期までは茶釜はオーダーメイドで個人の好みでいろいろなものが作られていたそうだ。桃山時代などの古い茶釜を見ると、「現代茶釜より斬新で現代的なデザイン」のものがたくさんあったという
現代的というのは、その時代の感覚に合ったデザインやフォルムのことを指していう。現代茶釜はそれぞれの流儀の枠組みにとらわれて、その自由さを失ってしまっていた。
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枠組みを外して、現代の感覚を注ぎ込む
そこで先代が現代的に”桃山再興”をしようじゃないかというスタンスをとったという。そのあとに続いたのが「もう現代の流儀でやっていいんじゃないか」という言葉だった。
そこで長野垤志さんは「イサム・ノグチが好きだから、それを茶釜に投影しようか」と思い現代的な作品を作った。「まあ異端児と言われましたが」と笑っていたが、その思想は息子の新さんにもつながり、デザインや模様など、これまでになかったものを採用し高い評価を得ている。
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日本古来の地金「和銑」
そういった活動のなかで出会ったのが和銑(わずく)という日本古来の地金だ。和銑は砂鉄を集めて、たたらで精錬した鉄。生産性が悪く、後に輸入された洋銑にとってかわられたが、和銑はサビに対して強く、釜ならば200年から300年は保つという。またほかの鉄に比べて薄いものにできるので、軽量でスタイルがよく見えるというアドバンテージもある。その和銑で作品を作ろうと、鋳物の工場を作り、研究を進めたという。
日本古来より使われてきた和銑で、現代的なデザインのものを作る。相反するように見えるが、それが融合した形で、また新たな伝統ができるのかもしれない。
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