100年後も色あせないお菓子を作る「向山製作所」/福島県大玉村

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100年後も色あせない、福島が誇るお菓子へ

ほどけるような口溶けと優しい風味の心地良い余韻——。福島発の生キャラメルが、パリで行われた世界最大級のチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ」を席巻した。
開発したのは福島県大玉村(おおたまむら)に本社を置く電子部品メーカー、向山製作所(むかいやませいさくしょ)。震災と風評を乗り越えてきた「奇跡のキャラメル」発祥の地を訪ねた。

お菓子好きとしても知られ、数々の商品開発や監修を手がけている中田英寿さん。向山製作所の存在も以前から知っていたと聞き、織田金也(おだ・きんや)社長は「うれしいなぁ」と笑った。
本業は、精密機器の部品加工。創業以来、幾度も好不況の波を乗り越えてきたが、2008年にはリーマン・ショックの影響で、仕事の8割を失った。自分たちの力で何かしなくては……。考えた末にひらめいたのは、給湯室にある業務用のガス台を生かし、スイーツ事業を始めることだった。

もともと料理好きで、フード事業に興味のあった社長。反対する社員らを説得し、栄養士の資格を持つ女性社員と、ゼロからレシピづくりに取り組んだ。お菓子作りではプロに到底及ばない。代わりに温度や時間や重さなど、細かなデータを測定。電卓をたたきながら、1年をかけて生キャラメルのレシピを作り上げた。
そして暗中模索で始まった販売網の開拓。まずは週末に高速道路のサービスエリアで販売を始めた。すると直売の話を持ちかけられた。やがて百貨店の催事に呼ばれ、都内でも評判に。遂には大手航空会社の国際線ファーストクラスで、お茶うけに採用したいと声がかかった。

フランスでお菓子作りの決意

2011年3月1日。向山製作所の夢を乗せた最初の飛行機が飛び立った。だが、10日後に起きた東日本大震災で状況は一変。物流がまひし、さらに県産の乳製品に出荷制限がかかる。
断腸の思いで、全国からの原料調達を決断。震災の2カ月後、東京の百貨店で販売を再開した。
人々の反応は、あたたかいものばかりではなかった。いわれのない風評、胸をえぐられるような暴言に耐える日々が続いた。膨らむ赤字に、「撤退」の二文字が日に日に現実味を帯びた。実は「サロン・デュ・ショコラ」に出展した本当の目的は、諦める理由をつくることだったと明かす。

「自分を信じて社員はついて来てくれた。やめるにしても、力は尽くしたと胸を張りたかったんです」
けれど予想に反して、向山製作所はフランスの人々から万雷の拍手で迎えられる。
「フランスは自信を取り戻させてくれた場所。感謝しかありません」
パリでの成果が日本に伝わると、徐々に売り上げも回復。近年は、順調に業績を伸ばしている。

「材料調達の範囲を全国に広げたことが結果として、新たな可能性を広げてくれたのでしょうか?」という中田さんの質問に、そうした側面もあると認めつつ、織田社長は福島の味への強い思いを口にする。
「震災の影響で生産が困難になったものもありますが、安全を確保し、再開したものや、新たに生まれたものもあります。それらでオール福島産のお菓子を復活させる。それが社員皆の願いでもあるんです」

ACCESS

株式会社向山製作所
福島県安達郡大玉村大山字西向26番地
URL http://www.mukaiyama-ss.co.jp/caramel/index.html
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