国指定重要文化財・会津さざえ堂の名で親しまれる六角三層の木造建築「円通三匝堂」

国指定重要文化財
会津さざえ堂の名で親しまれる六角三層の木造建築「円通三匝堂」

会津若松市、飯盛山(いいもりやま)の中腹に建つ、国指定重要文化財「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」(重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)。会津さざえ堂の名で親しまれる、高さ16.5m、六角三層の木造建築のお堂だ。寛政8(1796)年、かつてこの場所にあった正宗寺(しょうそうじ)が、西国三十三観音を祀(まつ)る観音堂として建立したもの。お堂を一巡すれば、西国巡礼に等しいご利益があると信じられていたという。
※西国三十三観音:近畿地方と岐阜県に点在する33カ所の観音信仰の霊場の総称。日本で最も歴史がある巡礼行といわれ、西国三十三所の観音菩薩(ぼさつ)を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。

独創的で摩訶不思議(まかふしぎ)、会津さざえ堂の謎に迫る

中田英寿さんが会津さざえ堂を初めて訪れたのは、6年ほど前のこと。その独特の建築様式と、時を忘れたようなたたずまいが強く印象に残ったと振り返る。
「一方通行で建物内をくまなく見られるというのは、改めてすごい構造ですね」
会津さざえ堂の当主、飯盛正徳(いいもり・まさのり)さんが、中田さんの言葉にうなずきながら、その成り立ちについて話してくれる。

そもそも、さざえ堂と呼ばれる仏堂は数多く存在し、その始まりは、享保13(1728)年、江戸本所五ツ目(現在の東京都江東区大島)にあった羅漢寺と言われている。以降、江戸時代後期に関東以北を中心に建立されたが、現存するものは数えるほどだという。堂内は右回りに3周する螺旋(らせん)構造の通路が特徴。
だが、会津さざえ堂の建築様式は他のそれとは大きく異なる。六角形の外観も独特なら、極めて特異なのは、上りと下りの参拝者がすれ違わずに通行できる、二重螺旋構造の通路。日本建築で二重螺旋構造を採用しているのは、会津さざえ堂のほかにないと聞いて、中田さんが疑問をぶつける。

「この構造は、どこから着想を得たのでしょうか?」
正確なところはわかっていないと前置きした上で、飯盛さんが二つの仮説を話してくれた。
飯盛家では代々、会津さざえ堂を考案した郁堂(いくどう)和尚が、二重こよりの夢を見て、そこから着想を得たと信じられてきたこと。一方で、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計に関わったとされる、フランス・シャンボール城の二重螺旋階段がヒントになったと考える説も存在すると続ける。
「享保5(1720)年の洋書解禁により、秋田藩に伝わったシャンボール城のスケッチ画を、郁堂和尚も目にしたのではないか。そう推論される専門家の方もいらっしゃいます」

右回りの通路を上りきり、頂上の太鼓橋を渡ると、動線は左回りに反転。出口をくぐると、いつの間にか建物の裏側に回り込んでいる。不思議そうに首をひねる参拝者の様子を見守りながら、はじめは皆さん戸惑われるんですと笑う飯盛さん。飯盛山全域が正宗寺の境内であった江戸時代には、春は花見、夏には山遊び、またさざえ堂の参拝や、共同墓地の墓参りというように、飯盛山は人々にとって憩いの場であると同時に、信仰の対象でもあったと教えてくれる。
「飯盛山というと多くの方は幕末、戊辰(ぼしん)戦争を連想されると思いますが、実はこの場所は、4世紀に築かれた前方後円墳の遺跡でもあるんです」
歴史の話に花が咲くなかで、隣の会津美里町(あいづみさとまち)にも、左下り(さくだり)観音という素晴らしい史跡があると聞き、目を輝かせる中田さん。少々アクセスは不便だと言われても、ひるむ様子はない。
「多少、アクセスが悪い場所の方が普段行かない分、意外な発見があることも多いですからね。やっぱり旅の醍醐味(だいごみ)は、新しいものの発見ですから」。

ACCESS

円通三匝堂
福島県会津若松市一箕町八幡滝沢155
URL https://www.aizukanko.com/spot/138