代々受け継がれる里芋「甚五右ヱ門芋」佐藤春樹さん/山形県真室川町

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一子相伝、幻の里芋

この日は最上川の支流、山形県北部を流れる鮭川沿いの山奥で待ち合わせた。中田一行を待っていたのは、幻の里芋といわれる“甚五右ヱ門芋(じんごえもんいも)”を栽培する佐藤信栄さん(2023年永眠)とお孫さんの春樹さんだ。甚五右ヱ門芋が幻の里芋といわれるゆえんは、甚五右ヱ門芋が固有の品種であることと、粘土質で水分をよく保つ大谷地と言うこの土地でしか育たないためだ。 一度、信栄さんの弟さんが種を持っていって神奈川県で育てたが、一年目は芋が育ったが、次の年には枯れてしまったそうだ。甚五右ヱ門芋は佐藤家に一子相伝で伝わる幻の里芋なのだ。 甚五右ヱ門芋は粘り気が強く、極めて柔らかでなめらかな粘り気があるのだ。名物の芋煮で食べてももちろんおいしいが、その深みのある柔らかさから、洋食食材としても人気が高い里芋だ。「佐藤さんおすすめの食べ方は?」と聞くと、衣かつぎという答えが返ってきた。皮ごと蒸して、つるりと剥きお塩をつけてそのまま食べるのが一番おいしいそうだ。(取材:2013年)

親から子へと受け継がれる里芋

里芋は種芋を植えて、その小芋、孫芋を食用とする。ひとつの種芋から親芋が1つ、小芋が6つぐらい、孫芋が20〜30個と、土の中で上に向かって成長していくのだそう。世代を重ねるごとに柔らかさが増していくそうだ。上へ上へと伸びていき、葉の部分は土を越えて1m50cmほどにまで伸びる。里芋というと勝手なイメージだが、土のなかのことしか頭にないが、畑はまるでとうもろこし畑のように背の高い緑がいっぱいになるのだという。 普通の農家では、親芋は食用には使わないが、甚五右ヱ門芋は親芋も食べることができる。小芋とは違った食感でコロッケにすると抜群なのだ。 佐藤家に里芋が伝わったのは室町時代。 その親のそのまた親の何代前かわからないが、ご先祖様にあたる種芋が、今でも佐藤家の畑には残っている。代々続く種芋を絶やさずに毎年栽培を行っている。400年ものあいだ続く、由緒正しい里芋なのだ。

語り継がれる物語

地域に伝わる昔話の語り部もしているという信栄さんが、伝承館で「むかしむかし」と甚五右ヱ門芋の物語を語ってくれた。 400年前にこの土地に来た新しい殿様は、百姓に親切で春から秋まで野良仕事を見に来てくれていたそうだ。ある不作の時期に甚五右ヱ門のじいさんとばあさんが芋汁を炊いていると、それを見た殿様が自分にも一杯の芋煮を所望され、食べた瞬間「うまい」と唸り殿様は何杯もおかわりしたのだという。そして、じいさま、ばあさまの分の芋まで食べてしまったから、殿様は代わりにに自分の弁当を置いていったのだそうだ。殿様の弁当だからさぞうまいものが入っているのだろうと開けてみると、そこには雑穀の混ざった飯と、菜っ葉のようなものしかなかったそうだ。それを見て農民たちは、殿様でさえこんな質素な食事なのだから、倹約しなくてはならないと思ったという。そして、不作の年でもしっかりとできる「甚五右ヱ門芋」は本当にありがたい。この芋だけ絶やすまいと心に誓ったのだそうだ。 信栄さんは、「この芋は絶やすな、味噌も作れよって。毎年毎年、絶やさずに作るということが物語で伝わっているんです」と、語る。

縄文時代から食べられ続けている作物、里芋。そして400年前から命を受け継いでいる甚五右ヱ門芋。長い長い歴史を持つ里芋は、語り尽くせないほどの物語があるが、春樹さんのこの先の目標はどんなものだろう。そう中田が聞いてみた。 「田舎の文化が豊かだと知ってもらいたい」と春樹さんは言う。「甚五右ヱ門芋の他にも伝承野菜がこの地域にはたくさん残っている。その大切に残してきた種を後世に残していく活動がしたいと思っている。今後は、お年寄りから知恵をもらうワークショップをやったり、郷土の文化を残す活動をしていきたい」と話してくれた。

ACCESS

伝統野菜農家 森の家
山形県最上郡真室川町大沢2052-1
URL http://morinoie.com/
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