1200年の歴史を持つお寺「山寺」
立石寺は山形市にある天台宗の寺院。山寺という通称で知られ、古くから“悪縁切り”のお寺としても信仰を集めてきた。「今日は50年に一度のご本尊御開帳が行われているんです」。そう教えてくれたのは、ボランティアガイドの佐藤さん。国指定重要文化財となっている立石寺御本尊薬師如来が50年ぶりに御開帳されていたのだ。立石寺は円仁の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師に伝えた4年を1区切りとした不断の写経行をまもる寺院となった。
室町時代には戦火に巻き込まれることになり、荒廃してしまった立石寺だったが、その後山形城城主の最上家の庇護を受け、最上義光の時代になると再興を遂げることとなった。江戸時代には1420石の朱印地を受け、一度壊れてしまった諸堂も再建されることとなった。
法灯が絶えず燃え続けるお寺
立石寺は「歴史が灯る寺」と紹介されることが多い。そのゆえんとなっているのが開山のときに延暦寺から分灯されたという法灯だ。ちなみに織田信長焼き討ち後の、再建された比叡山には、立石寺から逆に分灯されることになったそうだ。その灯火は現在でもまもられている。そのため歴史が灯る寺といわれるのだ。
山寺という名前でも知られる立石寺。山寺というと1015段ある石段を思い浮かべる人も多いと思う。その石段がスタートするのが国指定重要文化財に指定されている根本中堂だ。そこに円仁が自ら彫り込んだ薬師如来坐像が安置されている。そこから奥の院まで続く1015段の石段を登ることとなる。
朝日に照らされる絶景
立石寺は松尾芭蕉の名句でも有名なところ。誰でも知っているであろう「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」が詠まれた場所なのだ。「奥のほそ道」の紀行の際に立石寺を訪れてこの句を読んだのだという。
参道の石段を登りはじめて、少し息が切れはじめたころにその石碑があった。参道を歩いているとその「閑かさ」を実感できるようなしんとした何ともいえない雰囲気に包まれた。
奥の院まであと少しというところに佇むお堂は開山堂。五大堂ともいわれ、この御堂が建つ崖下の自然窟に円仁の遺骸が埋葬されているといわれている。毎日朝夕にはご住職が食事を持ってきているのだという。
またここは絶景で知られる場所。中田一行は開山堂からさらに上り、岩場に建てられた五大堂に出た。
この日の取材は早朝。朝日が照らし出した山が見渡せる。「きれい」と中田が思わずつぶやく。隣にいた佐藤さんは「円仁さんはここが心のふるさとさと言っていたそうです」と教えてくれた。金色に輝く山。心があらわれるようなふるさとだった。