山形の米作りのレジェンドが考える農業と人の未来 「遠藤農園」遠藤五一さん

山形の米作りのレジェンドが考える農業と人の未来 「遠藤農園」遠藤五一さん

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山形県南東部に位置する高畠町で30年以上有機農業に従事する「遠藤農園」の主、遠藤五一さん。有機JAS認証をとった肥料のみを使って生産される米は、国内外の米を一堂に集め、審査・評価を行う日本最大の米の品評会「米・食味分析鑑定コンクール」にて、4年連続金賞を受賞するなど高い評価を得ている。近年では後進の育成にも力を入れる遠藤さんのもとを訪れた。


山形県での農業45年目に米作りを振り返る



山形県高畠町の上和田地区。この地に江戸時代から続く農家の12代目として生まれたのが、「日本一の米職人」と言われ、上和田有機米生産組合の組合長もつとめる遠藤五一さんだ。

米作りに携わって今年で45年目という節目を迎える遠藤さんを一躍有名にしたのが、自身の田んぼで生産される安心・安全な米。30年以上前、何よりも家族の健康のためにたったひとりで有機農法を始めたというが、当初は苦労の連続だったという。何しろ当時の主流は、化学肥料を用いた増産。 地元では次第に理解してくれる仲間も少しずつ増え、一時は集落の半分ほどの農家が有機農業に着手するに至ったが、手間がかかり量産が見込めない有機栽培米はなかなか世間に理解されず、上和田有機米生産組合の販売部長として東京の米屋を一軒ずつ回ったこともあったのだとか。

しかし2002年から参入した「米・食味分析鑑定コンクール」で、事情は一変する。初年度の入賞はならなかったものの、翌2003年から4年連続の金賞を受賞し、2007年には米・食味分析鑑定コンクールにて連続受賞。その結果、有機JAS認定保持と無農薬・無化学肥料栽培者のみが受賞でき、全国でも7人しか受章していない「ダイヤモンド褒章」を授与された

コンクールという挑戦の蓄積が今の評価に繋がったと遠藤さんは言うが、同時に今の日本の農業に危機感を覚えているという。


「自立できる農業」という教え


「日本の農業の仕組みが回っていない。今、農家のおよそ93%が赤字だ」と遠藤さんは言った。

1970年から始まった減反政策は2018年に廃止されたものの、家族が食べていくだけの収入を得るには耕作面積を増やすしかなく、量をとるか質をとるかの選択を農家は求められているという。そのうえ、農業には厳しい自然との闘いがつきものだ。つまるところ、若い人が新規参入せず、また離農者も増えているのだとか。しかし、国内で食料がとれなければ輸入すればいいという姿勢は、自分の命を他に預けるのと同じこと。だからこそ、米の価格なども農協任せでなく国が主導で関わり、生産者の保護に乗り出してほしいと言う遠藤さんは、かつて言われた「自立のできる農業を」という教えを今でも心に留めているという。自立でき、自然と共存し、再生産可能な農業に取り組むことが、生産者だけでなく消費者も助けることに繋がるからだ。


おかずのいらない米・つや姫・コシヒカリ・雪若丸




遠藤さんが栽培するのは、つや姫、コシヒカリ、雪若丸、ゆうだい21。特に、稲が多品種より長く生長するため倒伏の危険性があるのに加え、量がとれない難しい米だという「ゆうだい21」は、「米・食味分析鑑定コンクール」の国際大会で最高位の金賞に輝いたことでも知られる。

高畠町の豊かな自然と山から注がれる清涼で豊富な天然水で行う米作りには、農薬や除草剤を使わないため、雑草取りや虫除けも自分たちの手で行うという労力がかかる。しかしその分、田んぼにすむ微生物が土に養分を与え、肥沃な土壌になるという。さらに化学肥料ではなく有機JAS認証の肥料やミネラル分を投入することが、食味にも良い影響を与えるのだとか。炊き上がりのつやだけでなく、炊き立ての米から立ち上る馥郁たるかおり、噛むほどに感じられる米本来のうまみや甘みにより、遠藤さんが作る米にはおかずがいらないとも言われている。


後進の育成で安全な米を未来へ



遠藤さんが近年ますます力を入れているのが、これからの米作りを担う農家の育成だ。2017年に創設された「やまがた有機農業の匠」のひとりに認定され、全国各地、時には海外でも作付け指導を行っている。現地に行くのが難しい時はZoomなどのオンライン通話をも駆使して勉強会を開き、発信すると同時に各産地からの情報収集をしているという。

また、作付け指導の傍ら農福連携の事業にも取り組み、滋賀県日野町にある社会福祉法人「わたむきの里福祉会」の障がい者120人とともに米作りを行ったことも。障がいをもつ人たちの所得向上の目的もあって始まったこの栽培指導だったが、実に2020年の「第22回 米・食味分析鑑定コンクール」の国際部門で、わたむきの里事業所が作った米が最高賞の金賞に選ばれた。

色々な人が安全な米を食べられるよう自分ができる努力をすると語る遠藤さんだが、その米作りの強い味方のひとつは、意外なことにずっとつけている日記だという。


日記をデータとして活用する


農家にとって味方にも敵にもなる自然。

米農家として長いキャリアを持つ遠藤さんは、日々の天気やできごとを欠かさず日記に残しているという。その記録は膨大なデータとなり、未来の予測と対策に役立っている。何事も経験している人にはかなわないが、この日記は遠藤さん自身の経験の蓄積といえるだろう。今では米作りの力強い武器となっているため、日記を書くことを息子にもすすめているそうだ。


安全なものを食べて体の中をブランド化してほしい


米農家として1年365日米と向き合っている中で心がけているのは、消費者目線を忘れない米作り

最近の消費者は健康への意識もさることながら、舌が肥えているため「有機農法」というだけでは売れないのだとか。近年好まれる米の傾向は、見た目にも白度が強く食感はモチモチとしており、かつ冷めても美味しく食べられるもの。それらの要素を兼ね備えた安全・安心な米作りを日々行っているが、消費者が求める米を作るのはもちろん、挑戦したいこともあるという。


生きている間に何ができるか考える



これまでに数々の受賞歴があり、米作りのレジェンドとも呼ばれる遠藤さんだが、「賞を獲るのはチャレンジ」だという。農家という仕事は基本的に個人で、会社組織にあるような昇進や昇給といったわかりやすい評価がないため、周りから褒められるという機会はあまりない。しかし、受賞すると表彰状がもらえ、今後を期待されることがやりがいに繋がっているのだとか。実際に、遠藤さん宅の茶の間にはこれまで受賞してきたコンクールの賞状が並んでおり、その挑戦の歴史が垣間見える。

加えて現在挑戦中なのが、先に述べた後進の育成だ。指導者として全国各地を飛び回る中で目指しているのは、「安心・安全で美味しい米を作る生産者を各県に1人つくる」ことだという。その1人を通じて各県内に情報が拡がっていけば、化学肥料に頼らない安全な米ができるのではないかと遠藤さんは考えている。

今でも「農家は60才を過ぎて一人前」と言われる中で、遠藤さんが有機農法に取り組み、各地で講演を始めたのはまだ40才頃のことだった。当時は「若造が何か言っている」と思われる節もあったが、60才を過ぎた今では、その話に真摯に耳を傾けてくれる多くの仲間に恵まれている。

「自分が生きている間に何ができるかを考えている」と語り、様々な挑戦を続けている遠藤さんを突き動かすのは、農業とは命の産業だからという思いだ。


農業は医者よりも前にいる


「具合が悪くなれば人は医者にかかるが、人の体を作る食べ物を生産する農業は、医者の前にいる存在だ」と、遠藤さんは常日頃から言っているという。健康であるためには安全な食べ物を口にする必要があり、その安全な食べ物を作るのは農家の仕事。しかし、人間の考え方が以前と変わらず質より量を求めていたら、土も変わらないし米も変わらない。命に直結する食べ物を作る農家には、食べる人に安全を届ける必要がある。最近では洋服や服飾品にいわゆるブランド品を買う人がいるが、安全な食べ物を口にして、表面だけでなく体の内部もブランド化してほしい、と遠藤さんは語った。


自分も家族も健康に、幸せになるために



何のために農家をしているのか、と尋ねられることがあるそうだ。大抵の場合、「食べていくため」と答えるが、それは手段。本質的には、自分も家族も健康に、幸せでいるために、だという。安全でない米を生産して最初に影響があるのは、自分の生産物を口にする農家とその家族。だからこそ、まず自分が、そして自分の家族が安心して食べられるものを作るために有機農法を行っている。

「遠藤農園」訪問時、しきりに到着時間を質問された。それは、米の炊き上がりを取材の時間に合わせるから、という気づかいだった。この日の試食は、遠藤さんの田んぼで収穫した「つや姫」。美味しいお米を最高に美味しい状態で食べてほしいという思いが詰まった、いわば作品だ。

地元で米作りに携わりながら、技術指導や販売促進イベントで全国を飛び回る遠藤さん。忙しい日々を送りながらも、その顏に浮かぶのは、日本の米作りはまだまだ大丈夫だと私たちに希望を持たせる笑顔だった。


ACCESS

遠藤農園 遠藤五一
山形県東置賜郡高畠町