山形鋳物は様々な素材でも
鋳物というと鉄瓶や鍋に代表されるように、「鉄」というイメージがあるかもしれない。ただし、山形鋳物を作る菊地保寿堂で見せてもらったものには、鉄だけでなくブロンズなどさまざまな鋳物作品があった。驚いたのはアルミの鋳物というものもあったこと。照明カバーなどによく使われるのだという。技術が進み、使える素材も多様化していろいろと増えてきた。加工によってサイズも自由になり、道路照明などの大きなものの製造もできるよういなったのだという。
歴史深き鋳物の街、山形
山形は鋳物の街として古くから知られる土地。歴史的には平安時代に遡ることができるほどだ。盛んになったのは、江戸時代初期のこと。菊地保寿堂はまさにその頃、1604年に創業された老舗中の老舗の鋳物屋さんだ。伝統の鉄瓶はもちろん、現代の食卓にあった和鉄ポットなども制作している。お米がおいしく炊けると評判の釜鍋も人気商品のひとつだ。
山形鋳物の最大の特長“薄さ”
どっしりと存在感がある鉄鍋。鋳物のよさのひとつはそこにあるが、山形鋳物の最大の特徴は薄さにある。そのため、ほかの鉄器に比べより繊細な肌感が表現でき、美しさでは群を抜く。ぼくとつとした良さというだけでなく、流麗な美しさを見ることもできる作品が菊地保寿堂にも並ぶ。
まるでアート作品のようで、中田が「アートして製造しているものものありますか」と聞くと、お話を聞いた社長の菊地規泰(きくちのりやす)さんは「アートと工芸は区別するべきだと思っています。工芸品は使う人がいる。私は、普通の生活のなかで使うものを作りたいんです」と話をしてくれた。
アート作品だけでは、その作家が活動を終えたところでその技術も途絶えてしまうのではないかと危惧する。だから菊地さんは工芸品を意識して、焼き型の技術、成型の技術、両方を時代へ継承していくことにも意識を注いでいる。
菊地保寿堂は技術を確実に伝えていく
菊地さんは菊地保寿堂の15代目として活躍しているが、いま思うことは「次代にきちんと伝えていくこと」だという。菊地保寿堂の人気シリーズで、欧米でも人気のある「WAZUQU」というブランドがある。これは日本語で書くと「和銑」。
和銑というの日本古来の砂鉄を炭で精錬した地金のこと。親類にあたる人間国宝 初代・長野垤志氏が20年近くの時間をかけて復興させた技術である。だが、実は和銑の技術がなかった空白の期間はたったの2年だったのだそうだ。その2年を取り戻すのに15年から20年という時間を要したというのだ。
「だから、技術は“常に”伝えていかないといけないものなんです。そのため、私の世代から次の世代に技術を残していくということをはっきりと意識してやっています」と菊地さんは話す。
15年前からすでに世代交代を考えて人材育成にも取り組んできた。そのなかにはすでに現在、第一線で活躍している人たちも多いという。現在も工房では17人もの人たちがいて、さまざまな表情で作品と向き合っていた。伝統と一口でいってしまうが、それを受け継ぐ場というのは、1日廃れると取り戻すのに3年かかるという場なのだ。そのなかで数百年と続く伝統が築かれているのだ。