山形に伝わる米沢織
江戸時代のはじめには、すでにからむしや紅花などの栽培が盛んだった米沢だが、それら繊維業を産業として勃興させたのは直江兼続だ。これらの特産物を藩の買い上げ制とし、さまざまな織物産地に売って藩の財政の基盤とした。
時代が下って1700年代の後半に米沢藩主となった上杉鷹山は、財政立て直しの施策の一環として繊維業、織物業を盛んにした。越後から縮師を呼んだり、養蚕業にも力を入れるなどして、米沢織の基盤を作った。以来、200年以上の歴史を持つのが米沢織だ。
米沢織の特徴
特徴は自然の染料を活かして染められて浮かび上がる色彩だ。ただし、近年は研究が進み、伝統の草木染めだけでなくさまざまな色が出てきている。さらには化学繊維を織り込むといった技術も取り入れて、伝統をさらに進めていく試みがとられている。
いいものには“パワー”がある
お話を伺ったのは1884年に創業され、130年ほどの歴史を持つ織物屋、株式会社新田の新田源太郎さん。新田さんは1980年生まれの33歳。2003年に京都の老舗帯屋に入り、基礎を学び、2005年から米沢を拠点に活躍している。2011年には全国日本伝統工芸展で日本工芸会新人賞を獲得した。
受賞した作品は袴。縞袴の織物に金糸を入れた斬新な袴が評価され受賞した。「袴は柄に決まりごとがありますが、自分は自由に作るということを始めたかったんです。本当にこだわった人のためのこだわった袴を作りたかったんです」と新田さんは話す。
「いいものには何というか“パワー”みたいなものがあるんです。これは感覚でしかないんですけど、きっと誰にでも伝わる感覚。やわらかさとかあとは私は“甘さ”といっていますが、手にとったとき、着たとき、見たとき、それが伝わってくるんです」
さまざまな色で染め上げる米沢織
米沢織の織りを専門とする工房では、染め場を持たないことが多い。しかし、新田さんの工房では、織りだけではなく染めの作業から一貫して着物作りをしている。そのため、自分たちでイメージした最終的な姿に近づけることができる。もともとの糸をどうすればいいか。それをどう織っていけばいいか。それをすべて研究、実践していくことができるのだ。
新田さんが「これは祖父母が発表したものなんです」といって見せてくれたものがある。それは紅花で染めた、紅花紬。「まだ匂いもするんですよ。紅花でしか染めていない。これは世界で見てもほかではできない自信があります。暗いところで光にかざすと赤が浮き出てくるんですよ」。
繊維の総合生産地となった米沢
現在、米沢市には撚り糸製作を専門とする工房から、織り、縫製を行う工房まで、すべてが揃っている。これは全国的にも京都を除いては大変珍しい。いわば米沢は繊維の総合生産地というわけだ。それぞれの工房が日々、新しい技術、新しいアイディアが紡ぎ出されている。その米沢で生まれる作品にこれからも注目していきたい。