薩摩切子に出会う「薩摩びーどろ工芸」 /鹿児島県さつま町

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薩摩切子の歴史

薩摩切子(さつまきりこ)の誕生は、1846年に島津家第27代藩主・島津斉興(しまずなりおき)が創設した製薬館・医薬館をきっかけに、そこで用いるためのガラス器として製造されたことに端を発する。その後、第28代藩主・島津斉彬(しまずなりあきら)によって工場が設営され、本格的な製造が行われると、城内にあった花園跡精煉所が研究の末、当時の日本では薩摩藩でしかつくり得なかった、紅ガラス創造に成功。その後も多彩なガラス創造を実現し、全国に「薩摩切子」の名を知らしめた。
しかし、1858年に斉彬が急死すると、西洋技術による藩の産業振興を目指した活動は、財政を圧迫しているとの理由でそのほとんど縮小・閉鎖。さらに、1863年の生麦事件から発展した薩英戦争で、多くの工場が壊滅し、薩摩切子は幻の工芸となってしまう。
その後1960年代に薩摩切子再興が図られ、1966年に紅・藍・紫・緑の4色のガラス器の復元に成功、その後も金赤色・黄色が復元され、現在は薩摩切子の全6色が復元されている。

“ボカシ”を特徴とする薩摩切子

「切子」とは、ガラスにカット文様を刻み込んだことをいうが、薩摩切子の最大の特徴は、”ボカシ”といわれる色彩のグラデーション。
これは、透明なガラスの上に色ガラスをかぶせ、角度の浅いカットを施すことで生まれる技法で、ほかにはない温かみと奥行きが独特の雰囲気を醸し出し、日本人がもつ細やかな感性で生まれた美の表現といわれる。美しい”ボカシ”は、色ガラスをかぶせた厚みが均一で、かつカットも同様に均一でないと生まれないといわれており、薩摩切子の技術の高さがうかがえる。

繊細な仕事が薩摩切子の美しさの秘訣

薩摩切子の作り方

薩摩切子をつくるにはいくつかの工程があるが、おおまかには以下のようになる。

  • 坩堝(ルツボ)でガラスを溶解。溶けたガラスを吹き竿に巻きとる
  • 巻きとったガラスを、濡れた新聞紙を折りたたんだ『紙りん』で丸くならす
  • 『ポカン』と呼ばれる型に色ガラスを吹き込み、バーナーでカット。その内側に別に巻き出した透明のガラスを押し込み、色のガラスをかぶせる
  • 型に入れたりコテを用いるなどして成型、徐冷炉とよばれる冷却装置に入れて、ゆっくりとさます
  • 『当たり』と呼ばれる、カットの目安となる線を入れる
  • 少量の水をかけながらダイヤモンドホイールを回転させガラスを彫りこむ。ダイヤモンドホイールでの掘り込み方にも種類があり、組み合わせることでさまざまな文様が生まれる
  • カットされたガラスを磨きにかける。この磨きにも種類があり、この作業でカットの艶を出す。

今回中田が訪問した「薩摩びーどろ工芸」では、職人の方の技術を間近で触れたほか、製造過程のガラスを巻き取る作業やカットを体験。少しでもずれると作品の美しさを損ねてしまう、その難しさを実感した。

ACCESS

薩摩びーどろ工芸株式会社
鹿児島県薩摩郡さつま町永野5665-5
URL http://www.satuma-vidro.co.jp
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